“書けない”というテーマだとなぜ書けるのだろう。
書きたいテーマは思い浮かぶけど、なんだか書き進まないなぁ。
大事なマインドが一つ欠けている状態のように思う。
実はほとんど書き上げているものがあったのだが、内容が薄っぺらいと感じて、公開に至らなかった。
週に何回か書く日記で、誰かにとって得する知識を披露しようったって、限界がある。
だから日記でこの考え方はよくないんだなと思う。
因みに、ぼくは内容にもよるが、書くこと以外にも話すのも好きだ。ついでに人前で発表するのも基本的に好きだ。
だから書くのが好き、というより、人に伝えることそのものが好きなのだろう。
日記は何かを伝えたくて、書いている。
しかし、さっき書いた通り、知識の紹介には限界がある。しかもそれは日記と呼べない。
何故なら既知のことを伝えたところで、それは「過去」の話になるわけだからだ。
日記に過去に得た知識の話を持ち込むと、テレビで野球観戦しているお父さんが「俺は昔ピッチャーでな」というような、過去の栄光にすがる語り手になりかねない。
そもそも既知と思っていることも、本当にちゃんと知っているのか危うい。
しかも、日記で「ぼくはこんなの知っているよ」っていうような内容は、面白いものになりづらい気がする。その知識が本当にすごい内容だったら別だけど。
例えば、最初にズバッと得た知識を発表すると、尻すぼみになる。
だからって後にとっておくと、最初から最後まで読んでもらうために、手のひらで転がすような内容になって、嫌な気分にさせてしまいそうだ。
「こんだけ行列に並んだのに、乗ってみたら全然スリルなかったわ。」
というような最低なアトラクションになる可能性だってある。
つまらないアトラクションを作りたい訳ではないし、楽しいものをつくるには、こちらも楽しくつくるのが大前提である。
どうやったら楽しく書けるんだろう。
あれ、
といいつつ、ここまで楽しく書けている。
なぜだ。
前にもこのテーマで書いて、結果的に楽しく書けていた。
「楽しく書けない」という出口が見えていない悩みをテーマにすると、結果的に楽しく書ける。
なぜ楽しいかって考えると、書けない悩みが解決に向かっているからだ。
そうか。
悩めることについて書くと、言葉を使って解決に向かおうとするから、筆が乗るんだ。
この世には答えがあるものと、無いものがある。
あるものはググれば済むが、無いもの、「なぜ、ぼくはびっくりドンキーが好きか」というような内容は、自分で答えを出すしかない。
そういったのは日記が書きやすそうだ。
あーなんだかいいことに気づけた感覚がある。
次回からはこれを念頭に置いて書いてみよう。
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