一旦やってみよ
26歳現在、
仕事をこなす中で、昔やってたことが
意外なかたちで現在につながることがある。
この前、そのつながりを感じたのは、
“『一旦やってみよ』の過去”である。
学生時代、
よく友達を自宅に呼んで、ゲームをやった。
純粋にゲームを楽しみたい時は、
ゲームの上級者だけを呼び、
ただワイワイしたい時は、
上手い下手関わらずに人をかき集めた。
後者の、人をかき集めてゲームをする時に、
ゲームの初心者にやり方を教えるのは、
友達を家に呼んだ僕の役目である。
「AかBで打つ、
タイミングよく押すんじゃなくて、
事前に押しておいてチャージした方が強く打てる。
ま、『一旦やってみよ』」
僕はざっくり重要な操作方法だけ説明して、
『一旦、やってみよ』
と意気揚々とゲームの
スタートボタンを押していた。
ゲームという文明に一切接触してこなかった
原住民に挨拶とお礼だけを教えて、
いきなりビルがそびえ立つ大都会に
放り出すというのは随分乱暴な話である。
しかし『一旦やってみよ』のおかげで、
原住民にゲームをいち早く覚えてもらえる。
挨拶とお礼の言葉しか
教わっていない原住民が
土俵に立っても、案外できてしまう。
もし困るようなことが起きても、
「Rでドリフト!Lでアイテム!
Lは左手の人差し指!」
と僕がセコンドから
操作説明の補足を叫ぶので問題はない。
ただせっかちだから、
ゲームの説明に時間を
かけなかっただけなのだが、
今思えば何かを習得するのに
合理的な方法をとっていたのだとしみじみ思う。
現在に話を戻すと、
僕は仕事でプレゼンの日々に追われている。
そして、プレゼンを成功させる上で大切なのが、
『一旦やってみよ』であることに気が付く。
当時、あれだけ初心者に
いきなりゲームをやらせていたにも関わらず、
最近まで、プレゼン前は
資料の読み込みだけ行い、
声に出して実践練習をしていなかった。
つまり、説明書の読み込みに時間をかけ、
実際にゲームをプレイする事なく、
本番を迎えていたのだ。
プレゼン資料は自分で作っているから、
内容は把握している。
だったら早速プレゼン練習をして、
その後で、ロジックの組み方や、
重要な文言をまとめた方が、
スムーズに話せるのだ。
これはプレゼンだけではない、
スポーツや、語学、料理なんでもそうだ。
実践練習が何かと早い。
教科書はざっくり覚えればいい。
教科書の読み込みは、
やってからのが確実に覚える。
『一旦やってみよ』
何事も。
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