見出し画像

課題を与え“続ける”べきか

とあるオーディション番組を見ていて、いつもいい評価をもらっていた人が、厳しめの課題を与え続けられていて、その事について、奥さんと話した。
課題を与えるのはいいことだとは思うのだが、ポイントは与え“続ける”というところにある。
奥さんは「精神的に追い込みすぎるのはよくないよね」と言っていて、ぼく自身は即答できなかったので、この日記にまとめている次第だ。

SASUKEのセカンドステージのゴール手前にありがちの、重いシャッターを3つ連続で持ち上げてくぐっていくあの感じ。
いくつもの課題を達成していくイメージはぼくにとってこれだ。
ただシャッターが3つと決まっていればいいのだが、くぐってもくぐってもシャッターがあったり、重すぎたりすると、立ち止まる選択が頭をよぎる。
だから課題を達成するためには、技術や筋力よりも精神力が必要なように思う。

精神力というのは筋力と同じで、人によってばらつきがある。
精神力の高い人を思い浮かべると、架空の人物にはなるのだが、ハイキューという漫画に登場する田中龍之介だ。
限りなくメンタルがマイナスに傾きつつも、そこから這い上がるはシーンは、この漫画を読み込んでいる人であれば、「稲荷崎戦のあれね」となる有名なシーンがある。
誰もが田中のように前を向き続けることはできない。
ぼくなんかもそうだが、課題が難しすぎると、途中でメンタルがぽっきり折れてしまう。
コンペが1年間取れずに、会社に何の利益も与えられなかった時は、自暴自棄になっていた。

会社の営業とかの視点だったらさっさと立ち上がらせて、利益を生んで欲しいとなるのかもしれないが、今回はあくまでも人間として成長をさせるために、課題を与え続けるべきかを考えたい。

そもそも人間としての成長とは何か、これを考えると、課題を与える人が、その人に求めるものによって変わる。
その人の技術を向上させたい、リーダーになって欲しい、そういった願いに合わせ、適切な課題を適度に与えて、成長を促す必要がある。

もし課題を与えて、立ち止まってしまうようであれば、その課題を与えるのをやめざるを得なくなる。
重たすぎて開かないシャッターの前に、長い間立ち止まらせてしまうと、前に開けられたシャッターまで開けられなくなるほど、力が衰えてしまう。
これはぼくの経験則だ。
開かないシャッターの前で踏ん張り続けると、前の習慣がおざなりになり、できていたことができなくなるのだ。

そうなったら一つ前の開けられたシャッターをもう一度開けさせて、自信を取り戻してもらう必要がある。

だからシャッターを設定する側に求められるのは、その人に合わせて適切な重さと枚数を考えなくてはならない。
すなわち、適度な課題のレベルの設定と、その課題を設定するタイミングである。



Q,課題を与え続けるべきか

A,適度なレベルを、適度なタイミングで、与え続けるのはよい。立ち止まらせるような課題は与え続けない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?