「それって意味あるの?」について考えてみた
Xやnoteで発信していると、たまに聞かれることがある。
「それって意味あるの?」
この問いかけについて少し考えてみたい。
ここでいう"意味"とはなんだろう。聞き手のスタンスを想像すると"メリット"と言い換えたほうがピンとくる。もしくは"利益"や"価値"でもいい。
聞き手のスタンスと書いたので少し触れておくと「それって意味あるの?」には疑いや怪しさのような気持ちが多分に含まれている。もう少し生々しく書くと聞き手は"時間の無駄じゃない?"とか"やめておいた方がいいんじゃない?"といった否定的なスタンスであることが少なくない。ここまでは思ってないにしても、ポジティブな気持ちで問いかけているものではないだろう。
話を戻すと「それって意味あるの?」は「それってメリットあるの?」「それって儲かるの?」「それって役に立つの?」といった表現に変換できる。
例えば私は今年このnoteで毎週読書録を書くと決めた。その決意や行動に対して
「読書録を書いて仕事につながるの?」
「読書録を書いてフォロワー増えるの?」
「読書録を書いて何かいいことが起きるの?」
こんな疑問をすべてひっくるめて「それって意味あるの?」と問われたと私は想像している。ちなみにこれは誰かへの当てつけではない。
ただ個人的にはこの疑問は些か危ないと思っている。その理由は3つある。
初動が遅れる
行動力が落ちる
成長が止まる
まず1つ目の「初動が遅れる」だが、メリットを感じられないと行動できない人ははじめの一歩が重い。人に話を聞いたりネットで調べたりして「よし、メリットがありそうだからやろう」と確認してから行動に移す人と、メリットがあるか確信はしていないがとりあえずやってみようという人ではスタートダッシュまでの時間が大きく異なる。当然後者の方が早い。初動が遅れればその分、意味や価値を確認できるのも遅れる。時代も変わる。つまりはずっと後手に回ってしまう。
あとこれは個人的な印象だが、1つの行動に対する意味(メリット)を自分の中で確認できるまでには往々にして時間がかかる。1週間でメリットを感じられることもあれば3年経っても感じられないこともある。よって何もかもが遅れる。
2つ目の「行動力が落ちる」だが、行動を起こす前に意味を確認したい人は他人からのお墨付きがないと行動できない。誰かにGoodと言われない限り、動く決断を下せない。自分で自分の行動を決められない状態が続くと決断力は弱まる。
人生も仕事も決断の連続である。決断力が落ちれば行動力も落ち、本来得られたはずの利益やメリットを享受できなくなる可能性が高まる。
3つ目の「成長が止まる」だが、上記のような状態では新しいことにトライしたりできないことに挑んだりすることが難しい。言い換えると今の自分が知っている、やったことのある、結果がなんとなく見えることしかできない。そうなると自分のキャパシティは広がらないし、VUCAと呼ばれる変化の激しい時代についていくことも難しい。現状維持が精一杯となり、結果的に成長は止まってしまう。
誤解のないように書いておくと私は「意味を感じられなくても、何も考えずになんでもやってしまえ」とまでは思っていない。少なからず自分なりに"意味が生まれるかもしれない"と思える仮説や妄想ができなければやらなくていいと思う。「webディレクターとして明日から毎日反復横跳びを1時間やります」と言われたら私もさすがに意味を聞きたくなる。止めはしないが。
このnoteで書きたかったのは「それって意味あるの?」という言葉を安く使っていると色々と危ないのではないかということだ。条件反射的にメリットや価値を求める思考回路は自分の行動や可能性を奪いかねない。スタートラインに意味の比重を置きすぎると、はじめの一歩を踏み出す足も比例して重くなる。
なんとなく自分の中でやってみたいと思えたのであればそれ以上は深く考えず、見返りも期待せず、感じたがままに行動してみるのもいいのではなかろうかというお話でした。
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