1982年生まれ。自慢もない人の10代の頃。2
アルバイト
PCショップT-ZONE
大学へ進学した僕は、秋葉原のパソコンショップでアルバイトを始めました。今は懐かしPCショップの「T-ZONE」です。趣味と実益を兼ねたバイトであり、お金が貯れば一人暮らしが出来るなと考えていました。
PDAとの出会い
バイト先で配属されたのは、PDA売場です。Personal Digital Assistant、ミニパソコンとも呼ばれた端末群は、今のスマホの原型的なものですが、当時はニッチなITガジェットでした。ParmやiPAQ、CLIEなどでご記憶ある方もいらっしゃるかもしれません。そうです、あれです。
2001年頃のことでしたが、僕はこの売場を秋葉原イチのPDAショップにしたいという思いで、社員の上司の許可を得て、POPデザインの作り直しをしました。当時覚えたてのPowerPointを使って。フライヤーを作って駅前で配ったこともありました。
仕事が楽しい
この頃ですね。仕事のやり方を変えれば、何らかの結果が出てきます。その楽しさに取り憑かれたのだと思います。大学の単位よりも、バイトのシフトを優先させることに時間はかかりませんでした。
就職をして、仕事一本に絞れば良いのではないか?
就職活動をしてみて、採ってくれる会社があったらそこへ入り、どこも採ってくれないのなら学生生活に戻ろうと。
就職
パソコンゲーム会社との出会い
パソコンゲームの販売と広報PRの会社「株式会社シャルラクプラス」。
(僕が入社した時はシャルラク株式会社でしたが、直後に変更)
2002年2月入社。広報部配属。通年採用枠でしたが、今で言うところのポテンシャル採用ですね。渡辺社長(当時)、ありがとうございました。
出社初日、何も無い私の机に置かれた私の名前の入った名刺。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えていますし、今でも涙が出そうになります。
就職して1年後、部署移管と当時の上司が異動することになったため、広報PRセクションの責任者に任命されることになります。広報PR計画の策定と実行。雑誌広告やフライヤーの作成手配、入稿。ユーザーイベントの開催など、業務は多岐に渡りましたが、僕の社会人としての基礎を築いた貴重な期間でした。
あの頃を振り返って
あれから日々が過ぎ、自分の仕事のやり方や人との接し方、時間や予算の使い方、段取りは変わったと思います。
けれども、がむしゃらに必死にやれる仕事を求めるし、そういう仕事を創る、そういう仲間を求めるし、育てる、そこは変わらないと自分では考えています。整っていなくて、課題があるからこそ、燃えます。解決をして、仕組みを創り、人も育てる。
事業を起こし、世界を変えることを夢見る経営者の方々と一緒に、会社を組織を大きくしていくことが出来れば、それは僕の存在価値になります。
20代以降の件は、また改めて書きます。
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