人生は近くで見ると悲劇だが、離れて見れば喜劇だ

Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

Charles Chaplin

自分の身に何か大きな変化が起きたとき、僕はそれをアウトプットしたくなる。方法は何でもいい。絵を書いたり物を作ったり、曲を作ることもあったし、その時の感情をしょうもない詩にしたためることもあった。今日は、noteに書きたいと思う。

冒頭の言葉はチャールズ・チャップリンの有名な言葉で、和訳すればタイトルのような日本語になる。人生は近くで見ると悲劇なのだ。何事も、自分の身に降り掛かって来るものは悲劇的なのだ。幸せな瞬間でさえ、その後に訪れる不幸の予兆なのかも知れない。そしてどんな人生も、最後には孤独な死が待っている。

人が大声をあげながら必死に泣きじゃくって生まれてくるのは、その後の悲劇的な人生を嘆き悲しんでいるからだろう。

本当にそうだろうか?

自分が今置かれているこの悲劇的な状況を、一旦離れたところから見てみることにする。もしこれが、誰か他の人の人生だったら?もしこれが、明日観る映画の中の物語だったら?

主人公にはちょっとだけ感情移入してしまうかも知れない。自分とよく似てるな、もし自分でも同じような行動をするかもな。きっとヒットはしない。世の中にはもっともっと悲劇的なストーリーが存在するし、観客もちょっとやそっとじゃ泣かない程度に耐性があるだろう。僕にしたってそうだ。観終わったあと、どんな感想を抱くだろうか。陳腐な話だったと笑うだろうか。

今度は、長い人生という中の出来事の一つとして考えてみる。僕の生活はこの後も滞りなく続くのだ。どんなことがあっても、6時過ぎに日は昇るし、8時前には家を出なければならず、12時になれば鐘と一緒に腹も鳴る。きっと、あと数十年は続くのだろう。

例えば20年経って、喫茶店かどこかでコーヒーでも飲んでいるときに、ふと覚えのある香りがしてくる。そして、ほとんど忘れていた記憶がフラッシュバックするのだ。その時僕はきっと、鼻で笑いながら懐かしい気持ちになるのだろう。「あー、そんなこともあったな」という具合に。多分、胸はじんわりと温かくなるはずだ。

チャップリンの真意は僕には分からない。だからこの言葉を都合よく解釈して、自分の人生を客観視してみるのだ。この辛い出来事は、遠くから見たらどう見えるのだろうか。きっと、そのうち喜劇だったと笑える時がくるのだろう。

だからその時のために、しっかりと向き合っておこう。ちゃんと感じて、自分の気持ちを蔑ろにしないように。大事にしようと思う。

「よう、ちゃんと喜劇になったかい?」

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