![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/118116469/rectangle_large_type_2_1a448b4b7bfcecce087a5dfa88d08ef6.jpeg?width=1200)
小話 さっさと手放したい
いろいろな物事が生活していると見えてくるのだが、本当に考えたいし関心が持ちたいことと・そうでないのにそう思ってしまっていたり巻き込まれていることがあるなと思うのです。例えるならば近視眼的ともいうのだろうか。
このことを代弁してくれるようなことが、先日書いた岡潔さんの本にも興味深い例えが書いてあったので紹介したい。
”大きな駅で大勢が電車を待つホーム。誰もが次に自分が乗る電車を待ち、電車が到着するとなると、皆が一斉に身構え心構えをする。いざ電車が徐行し目の前に現れると、皆目の色が変わる。ドアが開くと緊張もピーク。そして乗り込むなり自分の席を占める。”
この一連の間がまさに、私の思う囚われている状態である。こんなにも意図せずフォーカスさせられてしまっているのだ。
こういった囚われている大抵の場合は自分のものにしようと考え、想像しているのだと。私は思うのであった。
大勢の人が目の色を変えて必死になっているからといって、私がそれにのまれる必要はないのだ。
いかんいかん、手放さねば。いつの時も人は清々しくいれる、あれるのだ。