強くなりたければ困難を乗り越えろ
「今の若者はつらい経験を乗り越えていないから弱い」
先日、90代のおばあちゃんとお話しした際に言われた言葉だ。物質的に豊かな国である今の日本に足りないものは困難だ。とおっしゃていた。
そのおばあちゃんは、第二次世界大戦を乗り越えられた。当時のお話しを聴くと、食べ物は配給によって少量与えてもらえるのみで、その日を生きるのに精いっぱいだったと言う。
今の日本はどうだろうか。
食べたいときに、食べたいだけ食べられるようになった。
物質的に豊かで、便利な世の中になった。生きるのに精いっぱいだという人は少ないのではないだろうか。
おばあちゃんの言葉の中にこんなものもあった。
「最近の若者は辛いことがあったらすぐ逃げるだろ?逃げちゃダメなんだよ」
なるほど、、、たしかにそうかもしれない。
教育現場でも、少し前に比べて、
「非効率的」「非科学的」「理不尽」などの言葉に敏感になっていると感じることがある。
僕は理不尽の極みのようなところでサッカーをしていた。本当に”YES”か”はい”しかなかった。
真夏に、試合に負けたからという理由で水も飲ませてもらえないまま外周を何周も走らされたり、声が小さいという理由で、永遠に声出しの練習をさせられたり、、笑
これは、7,8年前の話しだが、最近このようなチームを見ることはほとんどなくなった気がする。
今は、「非効率的」「非科学的」「理不尽」があれば、選手が辞めるか、親からクレームがあるか、世間からのバッシングをくらうかだ。
僕が受けた指導を正当化するわけではないが、あの理不尽を乗り越えたから今があると思ったりもする。(自分が指導者としてあのやり方をしようとは思わない)
多少は困難に立ち向かえるようになったのかなと思うこともある。
辛さの度合いは違うにせよ、
おばあちゃんが言いたいことはなんとなくわかるかもしれない。
教育は変わりつつあるが、辛い経験や困難を乗り越えた経験が大事だというのはこの先も不変ではないだろうか。
その理不尽や壁をどのように作るのか、はたまた人工的には作らないのかというのが今の教育の味噌だと思う。
「非効率的」「非科学的」「理不尽」なものは排除され、生きやすい時代になっただろう。
しかし、その結果、若者はすぐ逃げてしまうようになったというのはあながち間違いではないのかもしれない。
「非効率的」「非科学的」「理不尽」なものが排除されることは悪いことではない。むしろ、良いことだ。
おばあちゃんが伝えようとしてくださったのは、
「若者よ、簡単に挫けるな」というこれからの日本を支える若者への応援メッセージだったのだと思う。
教育も効率的で、科学的なものに変わりつつあるからこそ、
非効率的で、非科学的なものに大切な何かがあったりするのかもしれない。
困難に立ち向かい、乗り越えた数が心の強さなのだろうか。
挫けるな!!チャレンジし続けろ!!