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英語が通じないイタリア人と、広島の話#イタリア3

「チャオチャ~オ大地!」
そう言って迎え入れてくれたのはこれから3週間お世話になる農家のパウロだ。家の最寄り駅まで迎えに来てくれた。見るからに優しい雰囲気のパウロはテッペンだけツルピカのおじいちゃんで、ひげもじゃのサンタクロースみたいな見た目だ。2ヶ月前ほどから連絡のやり取りをしていてやっと会えたことをお互い嬉しく思い、パウロはどんどん喋りかけてくれる。

「トートベーネ? オ ファーメ? コメ スターイ?』

ん、ちょっと待てよ。もしかしてこの人、英語通じない!?メールでは英語でやりとりしたよね!?ちょっと英語喋れるって言ってたよね!?

なぜかこちらの英語までカタコトになりながら、「ア、アイムオッケイ!」


これから3週間お世話になるのに、俺はイタリア語が喋れないしパウロは英語が喋れない。日本語なんてもってのほかだろう。色々な不安が頭に飛び交いながらも、翻訳を使いながら懸命に意思疎通を図る。まずそもそも、外国の人たちはみんな少しは英語を喋れるだろうという固定概念が間違いだったのだ。英語さえ話すことができればこの旅はうまく行くと思っていた。確かに日本でも田舎に行けば英語を喋る人なんてまずいないだろうし、もしその事実に対して外国人が批判したらお前が日本語を勉強してから日本に来い!とSNSでボコボコにされることになるだろう。イタリアに来ることがわかっていて挨拶程度のイタリア語しか勉強してこなかった俺の完敗なのだ。


あ〜〜もうしょうがない!来てしまった事実は変えられない。今の時代スマホがあるし、翻訳があるんだからどうにでもなる。逆に言えば、英語すら通じない未知の土地で、初めて出会う人たちと3週間暮らすなんてなかなか経験できることではないし、むしろラッキーだったのでは?20歳でこの経験をしたこと、一生武勇伝として語り継いでいけるんじゃないか?


今日からステイするザガローロ(Zagarolo)は、イタリア共和国ローマ県にある、人口約1万8000人の基礎自治体(コムーネ)で、歴史ある建物や教会が今でも残り、自然豊かでとても美しい街だ。パウロはこの街のはずれに家族と住んでおり、仕事を引退した後に農家として暮らしている。


「なんで今回俺のことを受け入れてくれたの?」
「わしは昔日本に行ったことがあって、みんないい人だったんじゃよ。日本人は働き者だという噂も聞くしな〜」
「えーそうなんだ!確かに日本人は働いてばっかだからね〜笑」
「もともと日本のことが好きでいっぱい知っとるぞ!広島のことはわしらも習ったんじゃけど、残念に感じる。でも、その後の日本の復興は尋常じゃなくすごかったんじゃよ!大地ももちろん習うよな?」
「うん、小学校の頃からいっぱい習ったよ。映画も何回も見たことあるし」
「あ!あと、イタリアに来る前には原爆資料館にもちょうど行ってきたところだよ!」


たまたま被曝70周年のポストカードを広島でもらってきていたので、お土産として渡した。まさか日本についてこんなに関心を持っていてくれるなんて。恥ずかしいことに俺さえも知らないような原爆の詳細までパウロは知っていて、もっと自国のことについて勉強しなければ、と思わされる。そして何よりも、昔出会った日本人がいい人たちだったという理由で受け入れてくれたという事実に、より一層責任を感じる。今から共同生活をさせていただくパウロ一家にとって、自分は日本人代表であるということ。日本のよき文化を伝えることはもちろん、彼らに日本のことをもっと知ってもらいたいと会ったばかりではあるが勝手に意気込む。



「さ〜〜〜着いたぞ!ウェルカムトゥーマイホーム!」

見えてきたのは、巨大な鉄の門が入り口に立つヨーロッパ風の大きな家だ。


優しいパウロ
飛行機で勉強したイタリア語

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