ベルリンの戦争記憶
カイザーヴィルヘルム紀念教会
第二次世界大戦中、空爆を受けて大部分が破壊されたかつてのベルリンのシンボルのひとつ。
破壊の跡が生々しく残っている。内装も修復の跡が目立つ。今では隣に礼拝堂が建設されており、中は非常に厳かな雰囲気である。
攻殻機動隊「天使の詩」で、娘はこの教会で「天使」の帰りを待っていた。劇中の教会がそもそも空爆されなかった、あるいは完全に再建された姿だったのには何か意味があるのだろうか。隆盛を誇ったベルリンが荒廃していった姿は、否が応にも日本の姿と重なる。
テロのトポグラフィー
テロのトポグラフィーでは、ナチス以前のドイツの困難、ナチスによる政権掌握過程、ナチス政権下のポグロム、戦時中の人々の生活、ユダヤ人、病人、障害者、ジプシー、同性愛者、政治的反対者などへの迫害、戦局の推移、ベルリンの荒廃、戦後の裁判と被害者の名誉回復のための戦いなどが、詳細に写真付きで解説されており、無料なのが信じられないほどだ。
てんかん患者の「安楽死」、ユダヤ同胞の密告者ステラ、シュペーアの偽証、デンマークやチェコスロバキア、ノルウェーなどこの旅でも訪れる国々で行われた迫害、戦後のベルリンで弱い立場に立たされたドイツ人女性たちなど、知らなかったことをたくさん知ることができた。
日本とドイツは同盟関係にあったが、そのイデオロギーや方法などは別物だった。しかし、社会不安から国粋主義と拡張主義が持ち上げられ、恐怖(テロ)が政治を支配し、止められなくなった列車のように破滅へと突き進んだ点は似ている。なぜそんなことになってしまったのか。考えさせられるとともに、当時のドイツ人の生活や分断されたその後を考えるとやるせない気持ちになった。
チェックポイント・チャーリー
ベルリン分断の歴史を今に伝えるこのチェックポイントには、戦中から戦後にかけてのベルリンの歴史、特に連合軍の分裂に伴うドイツ国内の緊張の高まりと分断のいきさつを詳しく説明する展示がある。町が壁によって分断され、まるきり違う政治経済体制の中で生きることを、当時のベルリン市民は強いられたわけである。容易には想像しがたいことだ。
西側への逃亡を企てれば逮捕、射殺され、デモは戦車で抑圧され、東側に住んでいるというだけで政治的自由を剥奪される。
今はどう見ても1つの町になっているが、私の生まれる20年前にはそういう事が起こっていたと考えると、想像しづらい状況も少し想像できる。
こうして、壁や検問などが一部保存され、分断の歴史を今に伝えていることは、とてもいいことだと思う。実際にベルリンの町を歩き回り、観光し、そのうえで壁の歴史を目の当たりにしたことで、「ベルリンの壁」がどういう意味を持つものだったのかを少し深く知ることができた気がする。
ドイツ抵抗博物館
イーストサイドギャラリーのブレジネフのキスの有名なアートを見てから、バスを乗り継いでドイツ抵抗博物館へ。
様々な立場からナチスの支配拡大に抵抗し、散っていった強き人々に捧げられた博物館である。白バラのことくらいは知っていたが、他にも様々な心情や動機から命を賭して抵抗した人々がいたことは知らなかった。展示では、彼ら1人1人の人生が説明されていて、心に刺さる。
大衆があおられ、強権的政権が市民を弾圧する社会で、私には間違ったことを間違っていると言う勇気があるだろうか。そこまで強く正義を信じることができるだろうか。
そのような状況は案外簡単に訪れる。多くの場合、命の危険はないにしても、何らかの不利益を被ることは多いだろう。オーウェルの1984のような世界にあっても抵抗できるか?私にはできないかもしれない。
彼らは恐ろしく強い。まさに信念を貫いたのだ。彼らに敬意を抱く。
ドイツと日本
ドイツ抵抗博物館を後にし、歩いてユダヤ人慰霊碑へ。2000を超えるモノリスが静かに並んでいる。犠牲になった魂を表しているのか。
ベルリンを歩いていると、いたるところにこういうモニュメントや解説パネルがある。日本の町を歩いていると、目に入るのは主に日本人が受けた被害の跡がほとんどで、加害の歴史が目に入ることは少ない。
当たり前と言えば当たり前である。日本が支配した地域は全て海の向こうだからである。また、日本はドイツのように国を挙げた絶滅作戦は行っていない。
ドイツ、特にベルリンの人々は、常に加害の歴史を感じさせるようなものに囲まれて暮らしているのだ。ホロコーストというのは、それほど罪深いことだったのだ。
同じ敗戦国である日本とドイツだが、こういう違いもあるのだと気づくことができた。