デンマーク博物館めぐり
デンマーク国立博物館
市庁舎から国立博物館に向かった。そこには、現在のデンマークの地に住んでいた最初期の人間の痕跡から現在に至るまでの歴史が網羅的に展示されていて、とても勉強になった。以下、印象的だったこと。
氷河期後には、イギリスまで地続きで、歩いて行けたそうだ。しかし、7000BCごろに北海の水位が上がり、今のようになったそうだ。
青銅器時代(3300BC-1200BC)には、「蛇や鳥が太陽を運ぶから一日が巡る」という独特の信仰があったそうだ。
使われているシンボルがとても面白かった。ルーン石に刻まれた赤い文字も、印象的だった。
特に面白かったのは、ヴァイキングの300年についての展示である。土地や資源、チャンスを求めてヴァイキングたちは海を渡り、略奪を繰り返した。彼らの生活や政治、文化などをインタラクティブな展示で学べた。
Bjornという一人の王の人生を追体験できる船型のシアターなども非常に興味深かった。ユグドラシル(世界樹)やラグナロク(終末)など、北欧神話についても少し知れた。また、当時セイウチの牙がとても儲かる品だったため、積極的に狩られたことも興味深かった。
その後のデンマークの歴史についても学ぶことができた。植民地経営の闇やデンマーク王政が絶対主義化した時期、ノルウェーとの長期にわたる同盟、都市化と中間層の勃興、社会主義とナチズムに揺れる国内政治、戦争、ベビーブーマーの伝統に対する反抗、ポップカルチャー、そして現在という流れ。デンマーク王国の盛衰を通史的に理解することができた。
ナチス時代に関わる展示が少ないことが印象的だった。抵抗はあったと少し書いてはあったが、これまでの国と比べると明らかに控えめだった。そんなに重要視されていないのか、被害が少なかったのか、それとも複雑な事情があるのだろうか。
デンマークの歴史に関する展示以外にも、民俗に関する展示が充実していた。世界各地、特にグリーンランドなど北方の品々がたくさんあった。日本の物も多かった。
衝撃だったのは、日本のコスプレ文化にフォーカスした部屋がなんと2つもあり、デンマーク人コスプレイヤーの紹介やプリクラマシン、翻訳版漫画などがあった。日本のサブカルチャーの影響力を改めて感じさせられる。
歴史や民俗を扱う真面目な国立博物館に突然現れたプリクラマシン。奇妙ではあるが、それほどまでに日本の作品やサブカルが国民に受け入れられているという表れである。一アニメファンとして、なんだかとてもうれしく感じた。
デンマーク・デザインミュージアム
北欧と言えば、家具などの特徴的なデザインが有名である。そんな「北欧デザイン」がいかにして生み出されたかを学ぶことができるのが、デンマーク・デザインミュージアムである。
家具については詳しくないが、シンプルながらも遊び心やどこか惹きつけられる魅力を感じる北欧家具の世界を探求できた。デンマークのデザインがいかにして世界的名声を得るようになったかを知ることができた。そこには、日本の文様や工芸が与えた影響も小さくなかったようだ。
しかし、特に印象に残ったのは、未来についての展示だった。予約した日時に安楽死できるサービスや、1日の栄養を全て摂ることができるタブレットなどがあったらどう感じるか?と問いかけてくる。
そんな世界がもし実現したとすれば、それはユートピアか、あるいはディストピアか。
正直言うと複雑である。死については、確かに誰にでも死ぬ権利はある。本当に死より辛い思いをしている人たちから、その選択肢を奪うことは残酷だとも感じる。そうでなくても、「いつでも死ねる」と考えることで、楽になることはよくある。しかし、それは精神安定剤の役割にとどめられるべきなのではないか?核兵器が抑止力としての役割にとどめられるべきなのと同じように。
いろいろと考えさせられる良い展示であった。
「クラフティビズム」についても学んだ。時間をかけて編んだハンカチにメッセージを刺しゅうして政治家にプレゼントしたり、衣類などをきちんと手入れ・手直しすることで長く使ったりすることで、平和的に環境問題に取り組んでいこうとする考え方のことだそうだ。
弱き者や強い主張のある者が社会に対して訴えかけるとき、正統なチャネルにアクセスできない、あるいは正統なチャネルでは変化に時間がかかりすぎると考え、しばしば暴動やテロといった過激な行動に出る。
環境問題についても同じである。変わらない世界に対して怒りや暴力を爆発させることは、駄々をこねる子供と何ら変わりない行動である。自分のできることをできる範囲で行い、正統なチャネルを通じて社会に働きかけたり、平和的な形でメッセージを発信したりすることでしか、社会を(正常なまま)変えることはできない。それでも変わらなければ、人類はそこまでである。クラフティビズムに、光を見た。
ヴァイキング船博物館(ロスキレ訪問)
ロスキレへ電車で向かう。
ロスキレ大聖堂は、デンマークの古都のランドマークにして世界遺産。12世紀に建造され、歴代のデンマーク王が眠る王室の霊廟でもある。赤レンガ造りのコンパクトな建物。
マルグレーテ1世(1397年にカルマル同盟を主導し、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3国の支配者となった)らの墓が印象的。北欧の大国だったデンマーク王国の盛衰を表しているかのよう。
次に、ヴァイキング船博物館へ。
ヴァイキングが敵の侵入を防ぐためにロスキレの入り江に沈めた5艘の船が復元・展示されている。
彼らの造船技術は非常に高く、スピードや積載量など、役割によって異なる特徴を持つ船を作っていたようだ。
9世紀ごろより、海を攻略したことで遠隔地との交流・貿易が活発化し、社会が激変するグローバリゼーションの時代が訪れた。西はニューファンドランド、東はイラクまで水を媒体として広がっていく経済圏の様子が分かって面白かった。
キリスト教が入ってくると、スカンディナヴィアではしばしば対立が起きた。キリスト教徒による差別待遇もあったようだ。しかしその後、キリスト教への移行は緩やかに進んだらしく、ノルド神話とキリスト教の融合のようなものも生まれたそうだ。中世になると略奪が困難になり、代わって十字軍の遠征に参加する者もいたようだ。
ヴァイキングの歴史や航海について学べて、とても面白かった。
コペンハーゲン市博物館
防塁に囲まれた要塞都市だったコペンハーゲンは、スウェーデンやイギリスによる包囲攻撃、2度の大火、コレラ、ペストなどを経て、その形を大きく変えてきた。
19世紀に防塁は取り除かれ、その跡は公園や湖になった。西側の今も残る防塁は、ヒッピーが占拠する自由都市クリスチャニアである。
住民の健康や安全を第一に据えてきたデンマーク。"Housing standard determines the nation (居住環境の水準が国家を決定づける)" というナレーションが印象的だった。空間や土地、生活水準といったものに対するデンマーク人の強い思いを感じた。デンマークの近現代史には、人々が非常に貧しく住む場所にも困るような時代もあった。そうした記憶が根底にあるというのも影響しているのだろうか。
ヒッピーの座り込みによって始まったクリスチャニアは、今では交渉の末 "Christiania Foundation" という団体の所領となっている。再開発は拒まれ、自然あふれる環境にそれぞれが思い思いの家を建てて住むという独特の空間である。
土地、建設、自然環境などについて、コペンハーゲン市民はかなり保守的な面があるよう。「市内に市庁舎(105.6m)より高い建物を建ててはならないという決まりがあるのも、そういう面からきているのだろう。
コペンハーゲンという町の歴史について知ることができ、とても興味深かった。