ウィーン歴史探訪
ウィーン歴史博物館
宿から、ペスト記念柱などを通って「ウィーン歴史博物館」に向かう。
博物館という名前だが、実は体験型アトラクションのようなものである。どんなものなのか気になって来てみた。入場料は17.9ユーロと安くないが、入ってみる。
受付の兄ちゃんはとてもやさしく、感じがいい。日本語で「階下へお進みください」と言っていた(!)
展示は驚くほどよかった。VRや4DX、マネキンロボットなどを駆使し、ウィーンの歴史をざっくりと追体験できた。例えば、ハプスブルク家の人々のマネキンロボットがしゃべったり、VRで宮殿舞踏会の中に行ったりと、当時の雰囲気が感じられた。どういう仕組みか分からないが、オーディオガイドの日本語音声は、ツアーガイドのドイツ語音声と同じタイミングで流れてくる。だから没入感があった。
まるでディズニーシーの「ソアリン」のような感じで異なる時代のウィーンの街(恐竜→ローマ→オスマン→ペスト)を駆け巡るアトラクションもあった。
少し子供向けだし、詳細な歴史が分かるわけでもない。しかし、ウィーンを旅しに来た私のような無知な旅人に、通史的理解を与えるには十分に効果的であった。「江戸」→「東京」という非常に面白い歴史を持つ東京にも、こんな施設があれば、人気が出ること間違いなしだと思うのだが…
防空壕の体験パートは特にリアルで、涙が出そうになった。立場や国は違えど、あの時代には多くの人々が空襲の恐怖を味わったのである。体験だと分かってはいても、暗い中に大きな爆発音や警報が響くのは恐ろしかった。本当の空襲がどれほどのトラウマを与えるか想像に難くない。
ザッハートルテ
博物館を出て、国立図書館へ向かうも、運悪く改装中。仕方ない。
もう少し歩くと、ウィーン中心部に出る。有名なホテル・ザッハーの1階にあるカフェには長い行列ができていた。でも、せっかくなので並んでみることにする。
30分強で中へ案内された。さすが高級老舗ホテルのカフェ、宮殿のような内装である。
注文してしばらくすると、ザッハー・トルテとウィンナー・コーヒー(Original Melangeという名前)、水が出てくる。
ザッハー・トルテは、1814年のウィーン会議の時、要人をもてなすために生み出されたのがその発祥。カフェ・ザッハーとデメルの間で7年間に及ぶ正統派争いなどを経て今に至る。なかなか面白い歴史を持つスイーツだ。
そういえば、世界遺産に指定されているウィーンのコーヒーハウス文化も、1683年のオスマン帝国による第2次ウィーン包囲でオスマン軍が敗走したとき、彼らイスラム教徒が残していった大量のコーヒー豆から始まったらしい。ちなみにこの街でコーヒーを頼むと必ず水がついてくるが、それは正式なコーヒーハウス文化の一部で、胃を守るためらしい。この街にはユニークな歴史や文化が目白押しである。
さらに余談だが、この時トルコの旗にある三日月を模したパンを作ったのがクロワッサンの始まりで、のちにマリー・アントワネットがフランスに嫁いでいった際、コーヒー文化とクロワッサンをフランスに持ち込んだらしい。
肝心のお味はというと、正直まあまあであった。とても甘みが強く、また砂糖のザラザラ感も少しあった。ウィンナー・コーヒーの方はとてもおいしかった。
シュテファン寺院
歴史博物館のムービーでは、このシュテファン寺院を中心に各時代が紹介されていた。推察するに、曇り空にそびえ立つこの立派な建物がウィーン市民にとってのシンボルなのだろう。
せっかくなので中に入ってみる。運よくちょうどオルガン演奏をしていた。響き渡るオルガンの重厚な音色に、自然と厳かな気分になる。
塔の上にも登ってみることにした。
上から見ると、これまでのヨーロッパの都市よりも高いビルが多く見える。東欧に近くなって、少し街の雰囲気や建物の感じも違って見える。
屋根瓦は、アルザスで見たのと同じ形、ドイツの瓦だ。やはりオーストリアはドイツ世界なのだと実感した。
ウィーン大学
大学で経済を学ぶ私にとって、ぜひ行きたかったスポットがウィーン大学である。ここはミーゼスやハイエクといった経済学者を輩出したオーストリア学派の本丸である。
キャンパスは意外にコンパクトだ。中庭を四角い建物が囲む。
中に入ると、歴史を感じさせる古い建物だということが分かる。何かイベントをやっているようで、すんなり入ることができた。見た目はコンパクトだが、地下までたくさんの階があり、そんなに小さいわけでもなさそうだ。
自分が大学で勉強したハイエクなどは、こういうところで過ごしていたのかと、何となく感慨深く思いながら、知っている学者の石碑の写真をとったりし、大学を後にした。
シェーンブルン宮殿
メトロに乗って、少し離れたシェーンブルン宮殿へ向かう。1814年のウィーン会議の会場となった宮殿である。大学で学んだ内容に絡んでいたので、訪れようと決めていた。
68年の長きにわたって在位し、国民から敬愛されていたフランツ・ヨーゼフ1世と、その妃エリーザベト(Sisi)の生涯を中心に学ぶことができた。
フランツ・ヨーゼフの執務室は、ごく質素だった。彼は質実剛健な皇帝であり、自らを国家の筆頭官吏だと考え、毎朝早くから机に向かっていたそうだ。彼の寝室には、小さな鉄のベッドと小さな祈祷台。敬虔なカトリックだったフランツ・ヨーゼフ。その信仰心があったからこそ、娘の死や弟の処刑、息子の自殺、妻の暗殺といった度重なる悲劇にも正気を失わなかったのかもしれない。
美貌が伝説となっているエリーザベトは、現在でもSisiの愛称で国民に広く愛されている。彼女は、宮廷の厳しいマナー等が合わず、結婚を「忌まわしいもの」と考えていた。だから、たくさん旅に出ていたそうだ。最後はイタリア人無政府主義者に暗殺されてしまう悲劇の皇妃ではあるが、自由を求め波乱の人生を生き抜いた強い女性だと思った。
宮殿内には、他にも6歳のモーツァルトが演奏した部屋などもあった。とにかく豪華絢爛な内装で、オーストリア=ハンガリー帝国の栄光がうかがい知れた。
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