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BIGFISH
さて、結婚14年目にも関らず、妻との仲睦まじさを惜しみなく綴る新時代型経営者NOTEの更新のお時間です。記事は月イチ更新ですが妻とは週
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おやめなさい
正直、自分でも何を目的に書いてるのか、時には後で振り返って読んでみても内容が全く理解出来ないNOTEなのですが、それなりにスキと言ってくれる方も増えております。
中には「最低でもひと記事4回以上は読んでるお」と初老のギャル語使いにもLINEでメッセージを頂き「僕もうれしいお」とスタンプで返すものの、翌朝、酔いがさめてからそのやり取りを振り返ると心が闇に支配され、我が家のルンバを自力で抜けられない段差に置いて、悪い顔をしてしまいます。
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NOTE、スタートです。
僕、古くからの付き合いがある友人やファミリーから「だいちゃん(or ぱぱ)の話は8割ウソ」と言われます。
これ誤解と語弊しかないと思っているので反論のある方はコメント欄にお願いしたいのですが、僕の話の中に80%あると言われている「ウソ」とは、「ウソ」ではなく「盛る」という事なんです。
この「盛る(ウソ)」という行為には「ルール」がありまして、それは「ウソ」によって「楽しくなる、良くなる」事にしか使ってはいけないというものです。
だって、悲しくなる「ウソ」は楽しくないですよね?人を傷つける行為じゃないですか?誰も幸せになりませんよね?最悪な行為じゃありませんか?人としてどうなんですか?と妻の胸を凝視しながら力説し、翌日から朝食のおかずが牛乳だけになり、おなかを壊さないようによく噛んで飲んでたのですが3日目で飽きてしまい、謝罪にステラプレイスのピーチジョンで仲良く買い物をした話は次回にしましょう。
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いやいやこんなんで終われないって
つまり、僕が話しているのは「嘘も方便」に近い意味合いでありまして、せっかく会話するなら楽しい方が、ワクワクする方が良いいよねと思っているからつく「ウソ」であります。
また、その語源も「う」は「うつけ」の「う」、「そ」は「そらごと」の「そ」で、「うつけたそらごと」を指す意味だったり、昔、江戸時代に疫病の原因と呼ばれた鳥を狩り続ける狩人を捕まえ、諫めた幕府側の役人に「私は肉が目当てではなく羽を衣服の素材にしているだけです。肉を食わねば病にはなりませぬ」と言い訳をし罪を逃れた狩人がいた(実際は肉を売り、病を蔓延させた)、その故事から「羽狙(うそ)」となったとか諸説あり、まさに「ウソ」そのものであったりします。
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生きづらくないか?いま?
この情報が溢れている時代。誰もが正解を容易に取り出せたり、過去の言質をとられる時代であります。
子供達が悪さをした時に
私「あの山にはなあ、10m以上ある鬼が住んでて、悪い子が来」
長女「ねえパパやめて、鬼なんかいないし、チャット聞こえないから」
私「はい」
こんなやり取りにもそりゃあなってしまいます。
私が小さい頃は父親の話が面白くて面白くて。
誰もが知る飛行機事故から一人生き残った話。とか、アメリカのロックスターと大館市の国際通りで毎晩セッションしてた話。とか、入れあげたキャバ嬢が誕生月間でポイントレコード更新した話。とか
ある時、「ダイヤルQ2て何?」と聞いたときには「あの電話の向こうには"Qちゃん"というクイズ王がいてね、何でも解決してしまうんだ。だけど、お金がとてもかかるから、電話をかけてはいけないよ。さあ、ステーキが冷めてしまう。食事にしよう」と答えてくれて、子供心に大人の世界に憧れるというか、ワクワクするような気持ちと夢を持ちましたよね。
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そのくだり入れなくていいよの声。正解ですそれ。
昨今話題のChatGPTというAIチャットサービスをご存じでしょうか。
このサービスは人間の質問や話題に対しAIが適切だと判断した回答が返ってくるのですが、その質も量も驚愕そのものです。お題を整えれば小説だって書いてくれますし、表計算だってしてくれます。
実は今回の原稿もChatGPTに「巨乳と虚乳をかけてNOTEを更新し、30代以上の女性に一目置かれたい」とリクエストして返ってきた文章をコピペしたものになっています。
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この春、アメリカの大手IT企業では大量の人員削減が行われています。これもChatGPTによる影響を否定できないと噂されているのですが、人が知識や情報を提供するビジネスやサービスは今後必要とされなくなるかもしれませんよね。
最近歴史にハマっている息子から「鎌倉幕府を開いたのは誰でしょうか?」と質問された妻が「家光ではない事は知っている」と自信をもって息子に探りを入れているのを見て、私は鳴ってもいない携帯に出るふりをしてその場を立ち去ってしまったのですが、改めて教育について考えさせられました。
教育とは「正解する」ことが目的ではなく、「人を育てること」が目的であります。文科省もそう言ってます。
知識と情報を学ぶのが教育と思われがちですが、AIが満たすサービスは教育の現場には及ばないものと私は思っていますし、より「そう」でなければいけないのがこれからの教育だと私は思っています。
「賢者は歴史(他者)に学び、愚者は経験(自分)に学ぶ」というドイツ初代宰相ビスマルクの有名な格言があります。これからの時代は「賢者はAIとの差別化に学ぶ」かもしれません。人間には創造性、柔軟性、倫理性があります。これらを伸ばしていく事、尊重していく事、価値化していく事が求められていくのかもしれません。
あ、もうお時間ですね。
ユニクロでボクサーパンツを購入する時、いつもXLサイズを選んでいたのですが、実はそのサイズがウエストサイズを指している事を最近になって知り、今まで店員の前で見栄を張ってXLサイズを購入してたことに思わず赤面した話は次回にしましょう。