ニセアカシアと頭を抱える私
休めばいいのに仕事をしている。
これが在宅ワークの落とし穴か。明日も「公式には」休みだが、たぶん仕事をしてしまうだろう。
唐突だが「アカシア」のことが気になっているのだ。
記念すべきnote初投稿で書いた「ニセアカシア」だ。アカシア蜂蜜は「ニセアカシア」からしかとれないらしい。ほっこりしたくて「あれ」とも自分自身ともほとんどなんの関連性もないニュース記事を探したというのに、私はもう、どっぷりと「アカシア蜂蜜の抱える矛盾」に取りつかれてしまっている。なんという皮肉だろう。
わかる。「ニセアカシア蜂蜜」なんて名乗って売り出したら怪しすぎて巷の主婦や健康食愛好家の手が伸びるわけがない。毒でも入っとるんかと思ってしまう。そう銘打つべきでは、絶対にない。
だが、アカシアであると思っていたのに実はそれはニセだった、というのはなんかこう、もやもやが残る。
わたしはたまらず、wikipediaを見た。
どうやら明治期に輸入された当初は本当にアカシアだとみんな思っていたが、のちに本当のアカシアが輸入されて名称をニセアカシアに変更した経緯があるらしい。その下に、なんともため息が出てしまうような記述を読んでしまった。以下引用する。
ココカラ↓
「下記はすべてニセアカシアとされる。
札幌のアカシア並木
札幌松坂屋開店時のキャッチコピー「アカシアの花白くいま開く松坂屋」
アカシア蜂蜜として売られているもの
西田佐知子のヒット曲「アカシアの雨がやむとき」に歌われる「アカシア」
石原裕次郎のヒット曲「赤いハンカチ」に歌われる「アカシアの花」
北原白秋の「この道」に歌われる「あかしやの花」
清岡卓行の小説「アカシヤの大連」[17]で知られる中国の大連市を代表する樹木
松任谷由実の「大連慕情」に歌われる「アカシヤのかおり」、「acacia[アカシア](2001年)」
レミオロメンの「アカシア」
アイカツスターズ!の「森のひかりのピルエット」に歌われる「アカシア」
↑ココマデ
石原裕次郎、松任谷由実、レミオロメン、さらには北原白秋と、国民的に有名な歌手(白秋は歌手ではないが)の曲がならぶ。まさに壮観だ。これらを耳にするとき、私は思うのだ。
「そのアカシアって、ニセなんだよな」
なんとなく、悪気なく、そう思ってしまうのだろう。もう私はアカシアと普通の関係ではいられなくなってしまった。これから「アカシア」と聞くたびに「ニセじゃないのか」と反射的に思ってしまうに違いない。私は頭を抱えている。これはもう、私に一生涯つきまとう問題なのだ。
だからといってなんでも正直になればいいもんでもない。怪しすぎるからだ。仮に、上記の曲などを全部正直な表記にしてしまったらこうだ。
札幌のニセアカシア並木
札幌松坂屋開店時のキャッチコピー「ニセアカシアの花白くいま開く松坂屋」
ニセアカシア蜂蜜
西田佐知子のヒット曲「ニセアカシアの雨がやむとき」に歌われる「ニセアカシア」
石原裕次郎のヒット曲「赤いハンカチ」に歌われる「ニセアカシアの花」
北原白秋の「この道」に歌われる「にせあかしやの花」
清岡卓行の小説「ニセアカシヤの大連」[17]で知られる中国の大連市を代表する樹木
松任谷由実の「大連慕情」に歌われる「ニセアカシヤのかおり」、「acacia[ニセアカシア](2001年)」
レミオロメンの「ニセアカシア」
アイカツスターズ!の「森のひかりのピルエット」に歌われる「ニセアカシア」
だめである。「ニセアカシヤのかおり」なんて言われたら、
「くせえんじゃねえのか?」
と聞いてしまいそうだ。
結局ユーミンも、ニセユーミンなんじゃないかとか、
レミオロメンの「粉雪」も、あれ実のところ「ニセ粉雪」なんじゃないか、とか、勘ぐってしまいそうになるくらい、「ニセアカシア」からはきな臭い香りがする。「ニセ粉雪」ってなんだ。
アーティストからすればとんでもないとばっちりである。
アカシアには気をつけなければ。
アカシアといっても、きっとニセなんだろうなあ、と思ってもすぐに、
「ダメダメ。それはみんなの心の中ではまぎれもなくアカシアなんだから」という思考を繰り返す私の日々がたった今始まりを告げたのだ。