親友に本音を伝えてみたら、心友になった話
昨日、高校時代からの親友と再会した。
再会と言っても、お互いが働き始めてからも月に1回くらいのペースで会うような関係の子なんだけどね。
それでも昨日は、人生で忘れることが無いであろう記憶的な時間になった。
なぜなら、初めてお互いの見せていなかった本音を交わすことができたのだ。タイトル通り、心友になれたのだ。
今までの自分は、大きな悩みや不安はもちろんのこと、些細な自己主張すら我慢して生きてきた。周囲の環境や人たちに迎合するばかりで、思うことはあれど対立することを恐れて自分を殺してきた。(the INFPだな)
それは長い付き合いになる友人たちに対しても同じだった。
高校時代から頻繁に会うような仲良しグループの友人にすら、奥底に秘めた本音や考え方を打ち明けることはしてこなかった。
自分を伝える努力を怠ってきたにもかかわらず、周囲に対して心の距離を勝手に作り上げて軋轢を生じてしまっていた。
そんな自分を少しづつ脱却しようと、意識的な自己主張を心掛ける日々を過ごしていた中で、昨日遂に一番の親友にも打ち明けることに成功したのだ。
家庭環境のこと、就活当時のこと、恋愛観、グループにおいてメンバーに抱いていた想い、これからの展望、etc…
とにかくプライベートな、自分が誰にも見せてこなかった本音を伝えた。
その結果、今までにない安心感と強固な信頼を自覚することができた。
その上、思っていた以上にお互いが共通する価値観を持っていたことを知ることもできた。嬉しいことに、これまでに向こうが秘めていた想いや考え方を赤裸々と伝えてくれた。(彼はINFJ : 提唱者だった)
出会って8年目になる友人の弱い部分を、はじめて深く理解することができたのだ。勝手に半信半疑になっていた信頼関係は、紛れもない強固なものへと進化した。
この経験からふと思ったことは、
「本音の言語化によって得られる安心感の大きさ」と「友人である期間の長さ」は相関するのかもしれない。
大学以降に出会った友人に対して自分の価値観を伝えた場合に比べて、今回のそれは強烈なものだった。何でだろう。
年齢を重ねて成長するに連れて本音を打ち明ける障壁が和らいできたのかな、お互いのバックグラウンドに対する理解度の高さが原因なのかな。
最近の自分の胸中を伝えるよりも、これまでに我慢していた本音を吐露することの方がはるかに大きいハードルな気がするもんな。
だからこその安心感だったんだろう。
そんなこんなでメモリアルな日になったのだけれども。
今振り返ると、自分だけベラベラと語ってしまったことに少し罪悪感を覚えるな(笑)
安心できるサードプレイスを発見したことで幸福感が勝ってしまったんだ。
少し反省しつつ、これからは相手にとってもそんな存在になれるようにと心に誓った。
だらだらと書いてしまったが、まとめると
人間は誰しもどこかで本音を伝えることができる心の拠り所が不可欠だということ
信頼関係は、お互いの本音の交わし合うことで強固になるということ
どれだけ苦手でも、意識的に自分を主張していこうと思う。
これを読んでくれた人の中には、自分と同じように周囲に頼ることができずに一人で抱え込んでしまう人がいるかもしれない。(特にINFPのような繊細さん)
そして、もれなくそんな人たちは、そんな意地っ張りなプライドを持っている自分に嫌悪感を抱いている気がする。(違ったら申し訳ない)
でも、人に弱音を伝えたことで得られるものは良いものでしかなかった。
結局自分の思い込みだっただけで、周りは気にしてないんだなって良い意味で楽観的になれた。
だから、無理しない程度に本音を打ち明けていってほしいな。きっと打ち明ける度に、自分のことを肯定できるようになるよ。
(未来の自分へのメッセージでもある)
長々と読んで下さり、ありがとうございました!
dai
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?