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どうしても対岸の火事になってしまう・・

ロシア軍のウクライナ侵攻により、現段階で民間人を含む137人の死亡が確認されたそうです。

確認出来ているだけの人数ですから実際はもっと多いのではないかと思います。

しかし、日本のテレビはゴールデンタイムにバラエティを放送したり、緊張感というものがあまり無いように思います。実際に日常でウクライナの話題をしている人もあまり見かけません。

しかし、これは仕方のないことなんだろうと思います。

今、養老孟司さんの『ヒトの壁』という本を読んでいます。

この中にちょうどピッタリの一節があります。

『私はかつて「死は二人称でしかない」と述べた。厳密には死には「一人称」(私)、「二人称」(あなた、君)、「三人称」(彼、彼女)がある。
 一人称は「私の死」。死んだ時には「私」はいない。従ってそれは現実には無いのと同じことである。
 三人称は「誰かの死」。どこか遠いところで誰かが死んだとしても、ヒトの感情は動かない。この死もまた存在していないに等しい。
 二人称は知っている人の死である。身内であろうが、嫌いなやつであろうが、そういう人の死は確実にヒトに影響を与える。逆に言えば、この二人称の死以外はヒトにとっては無いに等しい。』

おそらく多くの日本人はウクライナに知り合いはいないのではないかと思います。だから、『「三人称」の死』なんだと思います。この侵攻で日本人が犠牲になることがあっても、その人の知り合い以外は同じことです。

結局は多くの人からしたら対岸の火事で終わってしまうのだと思います。

しかしです。人間には想像力というものが存在します。だから全く無関係な人の死を自分ごとのように考えることは可能です。

国際情勢というのはいろいろと変化していきます。日本がウクライナのようになる可能性だってあります。
だから、せめて安全保障に絡む国政の政治家は想像力を働かせて対応してほしいと思います。

そして、一般の人も安全保障というものを一度真剣に考えた方が良いのではないでしょうか。今年行われる参議院選挙では、是非とも現実的な安全保障を語る人に投票してほしいと思います。

日本を守る第一歩はそこからです。