31日目_人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬
意味:不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。幸運か不運かは容易に判断しがたい。

去年、私はパートナーと別れて、今年に入り別のパートナーとお付き合いすることができた。今お付き合いしている人とは価値観があったり、一緒にいて心地よく感じている。そのおかげで仕事でも、「最近業務も安定している」と上司にいってもらえるほどになっている。今の私は、世間的に幸運な部類になるだろう。
ただ、私にはどうしても私が幸運な部類だと思えないのだ。なぜならこれが失う時を経験しているから。学生時代、ある程度勉学で成績を出しても成績落としてドン底を味わうことや、パートナーと付き合えてもパートナーの顔色を伺い右往左往してメンタル壊すこともあった。今がどれだけよくても、いきなり業務で負担の大きいものを渡されれば、余裕はなくなり安定もしなくなるだろう。そして、魅力的なパートナーだから、他の男性が魅力的に映ったり、私が不安定になってパートナーに接することになれば別れることになれば、メンタルの安定などすぐに崩れてしまうだろう。

この考えを悲観ではなく、あくまで可能性の話だ。物事を幸運に結びつけるには相応の努力が必要だと思っている。私はこれまでの人生を振り返ると、不運な状況のときにはだいぶ足掻いた経験をしている。毎日4時間ほど部活動に励みながら勉強を過ごした高校を過ごしてきたし、だれにも負けたくない一心で部活動にも打ち込んできたし。そして、足掻いた経験のあとは、たいてい報われている。そして、そこであぐらをかいてこれまで足掻いた経験をやめてしまったのだ。そしたら当然、他で足掻いている人には勝てない。
「人間万事塞翁が馬」という言葉を「不運に思えたことを幸運につなげる。幸運と思えたことを不運につなげる。」と私は捉えている。どちらにせよ、不運につなげる行動は楽だが、幸運につなげる行動は楽ではないと思っている。
パートナーができ、これまでの私のままで魅力的に写っただろうが、関係を深めるなら相手へのリスペクトを行動で示す行動の変化が必要になるだろう。仕事でも今後負担の大きいものがくるなら、それに向けて事前に上司からどんな業務がくるか聞いたうえで、対策をたてる行動の変化が必要になるだろう。
こういった必要な行動もとらず、「幸運に思っていたけど不運になった」などと運のせいになどできないし、運のせいにする私を私は許さない。私にとって幸運な状態でいつづけるには楽をせず、常に内省を繰り返し行動を変化させる勇気と実行力を持ち続けること。そして、大事な人とは逃げないで常に向き合い続ける誠実さを持ち続けることだと思う。
今の幸運を離さないためにも楽をしないことを肝に銘じたい。そして、こう思えているのも大学時代に「楽をして幸運から不運に転じて、どん底を経験したから」だろう。そうなるとあの不運も今となっては幸運になっているのかもしれない。

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