16日目 記憶に残る経験
「時代が違う」「考え方が古い」
最近よく聞く言葉だ。
ここまでの日本文化の中で悪しき文化を指して言われていた言葉だと思う。
しかし昨今では悪しき文化だけでなく、自分にとって都合の悪い言葉に対しても言われるようになったと考えている。
例えば「飲みにケーション」という言葉。
職場で関わり合う嫌いな人とお金と時間をかけるより、自分の好きな人にお金と時間をかけた方が良い。間違いなく合理的な考え方だ。そのような合理的な考えが最近の流行りなのだろうと思う。
しかし、自分の人生を省みた時に、どうも合理的な選択をしたときの記憶がないのだ。それよりも、周囲から反対されるような決断を自分でやり遂げるだったり、一見遠回りした経験の方が言語化して話すことができることの方がほとんとでそっちの方がよほど、自分の人生を彩ってくれるものだと考える。理由として合理的というのは、自分にとってなんとなく考えられる結果しか得ることができないため、その時は苦のない時間を過ごすことができるから話すほど記憶に定着しないのだろうと思う。
先週、金曜に会社の何人かで飲みに行くことがあった。メンバーの中には、仕事上あまり関わりがなく、正直何を話したら良いかわからない人がいて、乗り気ではなかった。しかし、実際に話してみると話す内容がとても面白く、自分にとって今後の仕事経験でも参考になる話をしてもらってで、とても話が弾んでしまい、21時に入ったお店に、気がついたら日付が変わって午前2時ごろまでお店にいてしまった。この飲み会に行く前に、「あんまり話すことがないし行かない」という選択をしてしまったら、この社員の方とはそんなに話すこともなかっただろうし、貴重な話を聞くこともなかっただろう。
自分にとって合理的かどうかではなく、何事も経験だと、いやでも経験をしていくことはこれかも行動の指針としていきたい。
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