とるにたらないものもの

とるにたらないものもの

最近の記事

神様のボートを読んだ

江國香織さんの神様のボートを読んだ。 最後のシーンを読んでから改めて本文を見返すともの悲しくうつる。 人は強烈な愛を過去に求めたまま生きれるほど強くはない。 この作品、葉子と草子の親子2視点から織りなされるのだけれど、その関係性が対等で心地よく感じる。「母親に引き摺り回される娘」の構図だけれど、深刻な家庭環境の暗さや洗脳的側面ではなく、むしろ愛を感じるのはきっとこの描き方のおかげ。そしてこの作品、草子がいるといないでかなり違う。当たり前だけれど。 草子の存在がなかったとしたら

    • ツバキ文具店を読んだ

      小川糸さんのツバキ文具店を読んだ。 鎌倉で手紙の代筆屋さんを営む女性のお話。手紙っていいね。 僕は手紙を書くのが好きなので恋人ができると溺れるくらい手紙を書く。 天国に旅立つときは、愛する人から貰った手紙を抱いていたい。 この作品の好きなところは、手紙が手書きで表現されていることだ。 手紙の表現は、文章の意味だけに留まらず、字体や文体、インク、封筒、切手など多岐に渡ることを書いてくれているところもこの作品の好きなところだ。選ぶのは、言葉だけにあらず。 離婚という結末を迎えた

      • ルビースパークス(Ruby Sparks)を観た

        昨日ルビースパークス(Ruby Sparks)を観た。映画を観たいという気持ちが先行し、どの作品を観るかは決まっていなかったから、僕の好きなシューゲイザーバンドのルビースパークス(Luby Sparks)と名前が同じ作品にした。 もちろん理由はそれだけではないけれど、数ある映画の中で見る作品を決める時はそれくらいのラフさと思い切りが必要だ。(タイトルや広告写真に惹かれて触れた映画で、観終わった後首を傾げてとりあえずラーメン屋に行き店を出る頃には忘れていることもよくあるのだけれ

        • 恋人よ

          昔の誰かを思い出す隙も与えないほど、恋の顛末を悩まなくていいほど、可愛い笑顔を目に焼き付けさせて欲しいのです。

          心の声を聞く

          最近入浴が長い。自分自身に意識を向ける時間。 醜い感情をそのまま受け入れるのは難しいけれど、何も纏わず、誰にも見られていない浴槽の中なら、何となく受け入れられる気がする。 僕が僕であること、この文章を書いていることこそが儚い世界での処世術。 分からないものはそのままでいい。ただ、本当に好きなものに出会ったときには、ありったけの愛を注げよ、自分。 風呂上がりに浴びる二月の空気は旅先の朝に似ている。

          心の声を聞く

          ただいま、おかえり

          先日おばちゃんが一人で営んでいるおでん屋さんでおでんを買い、河川敷で並んで食べた。それはそれは寒い日で、手足の感覚は次第に無くなり、はんぺんは殆ど凍りついていた。それでも夕暮れになるまでカイロを交換したりして何とか耐えれたのは、心が暖かかったから。 いつか忘れてしまうかな。そうだとしても、今年の冬の思い出はこれに決まり。電話越しの「おはよう」「おやすみ」「ただいま」「おかえり」 そんな日々を愛おしく思えるだけの寂しさと、愛する勇気を。 愛しさを育む小さな世界と、確かな温もりを

          ただいま、おかえり

          喫茶店にて

          数年前、僕は少し鬱だった。 と、思う。何事もあまり楽しいと感じなかった。 自律神経がおかしく、常に頭が痛かった。それに目も疲れる。 そんな時、行きつけの喫茶店で「体調が良く本が読めたら、それだけでいいのに」と本気で思ったのを覚えている。 数年が経ち、仕事にもつき、頭痛を伴わない読書ができている。 多少、現状への不満足があってもいいじゃないか。 「体調よく本が読めている」のだから。それだけで。 僕の原点、魔法の言葉。

          喫茶店にて

          良い朝、いとしいひと

          僕は誰かと迎える朝がたまらなく好きだ。そして一緒に食べる朝食も。 寝ぼけ眼で見る、昨日のままのテーブル。パンに卵とベーコン、淹れたての珈琲の香り。そんなものに誘われて、おはようを。 きっと、何でもない食材で作った簡単な料理がこんなにも美味しいのは、朝食を共にする程親しい人と食べるからだと思う。

          良い朝、いとしいひと

          How are you?

          久しぶりの投稿。 何となくnoteにログインしてみると、そこにはかつての僕の感情や言葉に対しての美意識、それと祈りがあった。 あれから何度も部屋のレイアウトは変わり、更地だったアパートの向かいには家が建っている。が、僕は相変わらず部屋の中でスコッチを啜りながらこれを書いているあたり、きっと変わらないことの方が多いのだろう。 約2年という月日を文字に起こすことは難しい。人並みに出会いや別れがあり、価値観の変遷があった。あの頃つくった曲の詩が浮かぶ。 僕は僕らしく、あなたはあなた

          How are you?

          五月

          草の香り、茫洋とした緑。五月になった。 虫たちが騒めきはじめ、空気も少し潤んできたように思える。印象派の画家が描くような明るい緑が点在するこの季節が僕は好きだ。 毎年五月になると、昔本で読んだ或る昆虫のことを考える。春と夏の名前を持ったあの昆虫。限りなく短い時を生きるあの昆虫。 儚い命。桜は毎年散って、人々の心に刻まれるというのに。

          ロケット

          「恋愛は宇宙に飛び立つロケットのようなものだ。必要なのは大気圏を出るだけの燃料だけ。あとはただ飛び続ける。方向はどうであれね。」 「最初の爆発が肝心?」 「一生の相手かどうか考えたりしない。むしろ、最初の勢いだ。」 彼の主張は、ある意味で正しかったのかもしれない。だが、僕は大気圏を突破するために、ロケット同様あまりに多くのものを切り離し、捨ててしまった。 結局、大気圏に辿り着けなかったロケットは、地上で大破し、誰に見つかるでもなく海の藻屑となった。 あるいは、大気圏を突破

          ロケット

          首から下が砂に埋まっている

          首から下が砂に埋まっている 僕はもう長くこの生活を続けている。小さな変化はあれど、殆どこうだ。 平日については、何も言わない。何にせよ凡庸だ。それぞれが思う凡庸で少しばかり多忙な公務員の平日を想像していただければ、それが僕の平日ということになる。 休日は仕事に行かなくていいし、曖昧に笑う必要もない。そこで僕は平日と人格を入れ替えることにしている。僕が(おそらく大方の人間が)抱えている矛盾は、そうする事で少しは解けるからだ。休日の僕はもっと内省的な、おそらく本来の僕だ。休日

          首から下が砂に埋まっている