「罪と罰」に想う、わたしの悲喜劇
いつごろ そう思いついたのか思い出せないくらいの数ヶ月まえに「罪と罰」を読もうと決めた。
罪と罰とナイトダイバーがわたしにとって特別なこと
実家の本棚に並んでいたドフトエフスキーの「罪と罰」を横目でぱらぱら見て子供の頃から諦めてきた。
言葉の難しさと内容の暗さに恐れをなして、
今までは漫画で読んでみる「罪と罰」なんてものを
図書館で読んでごまかして来たのだけれど。
今度はちゃんと訳本で読もうと心に決めた。
読み終わったらその時に、友人が好意でDVDに落としてくれた春馬くんの舞台「罪と罰」を正座して観直すのだと決めたのだ。
それぐらい 本で読む「罪と罰」も、舞台「罪と罰」もわたしにとって敷居が高かった。
舞台が素晴らしいのは知っている。
それがどれぐらいファンのあいだでも希少なものであるのかも。
春馬くんが全身全霊を込めて演じた舞台は、
それがDVDであっても、ものすごい熱量と重さで迫って来て3時間のあいだに、瞬きを忘れたり、
言葉を発することができないほどの重さで迫って来て、本当に凄いものだった。
わたしは三浦春馬という俳優の本質を本当の意味で知ったのはあの舞台なのだと思っている。
そしてあまりの凄さに驚愕して一度観て以来、封印している。
それは、わたしの中で春馬くんが歌う「Night Diver」と同じ位置にある。
ナイトダイバーは、生粋のエンターテナー三浦春馬が歌って踊ることの本質を、わたしにとって知らしめたと思っているので、やっぱりおいそれとは観ることが出来ないでいる。
その本質を受け取る自分に自信がないのだ。
それはどうやら月日が経ったからと言ってどうなるものでもないらしい。
でもふれたい。
春馬くんが残してくれたものをふれたい。
だから原作の訳本を読もう。
そして読みきったらあの春馬くんに会おう。
そう決めて本屋さんで原作本•上巻を手に取った。
書店ではドフトエフスキー「罪と罰」は、上下巻で並んで売っている。
それなのに保険のように、とりあえず上巻を読みきったら下巻を買おうとした。わたしは姑息なのだ。
引き寄せってあるの?
読み始めてしばらくしてから、わたしの決意を応援してくれているように、ネットで春馬くんの写真に出会った。
春馬くんはおそらくアイネクライネのロケ中で、
そしてさりげなく文庫本を手にしていた。
きっと先にある作品の原作本だと思った瞬間に表紙に目が止まった。
そして写真を拡大してみた。
「罪と罰」だった。表紙に見覚えがあった。
思わず本屋さんでつけてくれた自分の「罪と罰」の文庫の紙カバーをめくった。
偶然に同じ本を手にしていたのだ。
引き寄せってことがあるとしたら、こんな偶然が時々ある。
わたしは単純だから、頭のなかで恋しがるあまりに引き寄せてるんだろうと思ってしまう。
そして長い長い物語を読みはじめた。
物語の主人公のラスコーリニコフは、前途ある頭がとても良い才能にあふれる若者だけど、描写では美しい容貌もしているらしい。
ただ貧乏な苦学生で、ろくすっぽな食事もせずに、
汚い古い下宿で暮らしているから、おそろしくカラダが細くて、身なりも気にしないからボロボロの格好で、能力も高くて才能もある若者の自分が、お金のせいで学生生活が続けられなくなっていくのを、そのために自分の将来の希望も野心も根こそぎ奪われる状況にいいようがない理不尽さを抱えている。
そしてある日、彼は貧乏人にお金を貸すことで自分は肥え太っている意地汚い老婆を殺してそのお金を取り上げることを思いついてしまう。
彼の本質は自分もお金に困っているのに、さらに困っている人を放ってはおけない。
手を差し伸べてしまう優しい人なのに。
その当時のロシアのペテルブルクの庶民は、みんな貧しかった。
物語の中で春馬くんのラスコーリニコフが動いている。
泣いている。叫んでいる。慟哭している。嘆いている。そして救われたいと心の底の底で願っている。
そんな彼がずっといた。
もう少しで「罪と罰」下巻を読み終わりそうなときに、ある雑誌で舞台「罪と罰」のシナリオが全文掲載されていることを noteで知り合った春友さんに教えていただけた。
そんな雑誌があることも知らなかった
ネットで検索してみたら、ファンみんなが探している希少本で復刻本のリクエストがされていると知った。
なかなか高額取引されているらしい。
なのに偶然に、またしかも定価で手に入れることが出来た。
引き寄せてしまったかも….と思って雑誌の表紙の名前を見て2度驚いた。
その前日に友達と感性の話をしていた時の会話だった。
「なんでも好奇心がありすぎてクビを突っ込んでしまうのだけど、案外ヘタレだから落ち込むことが多いのよね、こんなわたしの性格ってさ、悲劇?喜劇?」
友人はひとこと言っただけだった「それはね喜劇!」
「罪と罰」のシナリオに惹かれて買うことばかり考えていたわたしは雑誌の表紙の名前もよく見ていなかった、
表紙の名前は「悲劇 喜劇」。
やっぱりわたしのところに来る予定だったんだよね。
それよか もしかして 春馬くん 聞いてた?
こんなことを書いてしまうわたしは、やっぱり喜劇かもしれない。