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わたしの知っている三浦春馬さん②

いろいろなスキルを身につけて自分の幅や可能性を広げていかないと、俳優としての需要もなくなっていくだろうなという思いはあります。(中略)大好きなこの仕事を続けていくためにも、今後も新しいことにどんどん挑戦するつもりです」

春馬くんインタビュー記事より

春馬くんを見ていると大急ぎで大人になって
大急ぎで自分を成長させたいと思っていたんだなと思うことがある。「焦るな」と言いながら、焦る気持ちを押さえられなかったのかな。

どうして、今、評価されているのに、まったく違うことをしようとするのだろう?というようなその時には理解出来ていなかった疑問だ。

「ラストシンデレラ」で大人になった23才のヒロトのかっこ良さに日本中の女子が夢中になり、あのファルコンが、あのコタロウがと思う間に春馬くんは大人になっていく。

その間も舞台に興味を持ち舞台と映像をクロスオーバーする稀有な役者さんになっていった。

持ち前のビジュアルの良さ、綺麗さ。
これとても才能だと思うのだけれど、より良い演技への追求が生涯の目標だったのだから男前というだけでキャスティングされるようなことが不安だったのだろう。

演技派になりたかったのだと思う。
上記の言葉はそんな春馬くんの気持ちが窺い知れるような言葉だ。

後に伊集院光さんとのラジオとの対談でどこにいても「男前」と呼ばれることに抵抗があったでしょ?と聞かれて正直にそうだと答えている春馬くんがいる。

「ありがたいんですけどね。でも昔の自分はビジュアルだけが取り沙汰されているようで不安だったんでしょうね」と答えている。

大好きなこの仕事を続けていくためにも新しいことに挑戦すると言い続けていた春馬くんの転機になったのはのちに「罪と罰」の演出をされる、フィリップブリーンさんとの「地獄のオルフェウス」らしい。

表現を面白くするためには、熱量やセンスだけじゃなくて技術も大切なんだなって思うようになりました。(中略)がむしゃらなだけでいい時期は終わったなって思うようになりました」

春馬くんインタビュー記事より

25才の春馬くんは自分がより良い演技を追求して成長していくためにこの舞台が転機になり、自分の役者としての可能性をみることができるようになったと言っている。

自分自身がずっと望んでいた実力を上げていける世界。
世界の演出家のひとりに直接演技をつけてもらい、日本最高峰の女優である大竹しのぶさんと演技を合わせることができたのはとても大きかったのだと思う。

そしてその春馬くんの望んだ演技への道は、さまざまなドラマや「キンキーブーツ」につながり「罪と罰」につながっていく。

新しいことに挑戦すると心に決めていた春馬くんの前に現れたのがローラだったのだと思う。

春馬くんは最初からチャーリーではなくローラがやりたかったと言っている。

素晴らしい楽曲はもちろん、特に惹かれたのは(中略)ローラでした。たぶんその背景には、俳優として幅を広げるために、ちょっと特殊な役どころを演じてみたいという僕自身の気持ちがあったんだと思います。絶対にローラをやりたい、誤解を恐れずに言えば、やらなきゃいけないと思いました

春馬くんインタビュー記事より

初めてテレビでローラの格好をした春馬くんを見たわたしはひさしぶりに見た春馬くんが女装をしていることがショックだった。

キンキーブーツがどんなミュージカルなのか、
春馬くんがどんな思いでローラを「やらなきゃいけない」と思って実際にローラを手にしたのか、
何もしらずに普段とはあまりにも違う春馬くんに戸惑ってしまったのだと思う。

そこにはやっぱり野心なんかではなく、
ひとからの評価でもない、地に足がついた自分の良い演技、自分の理想とする演技の追求以外はなかったんだと思う。春馬くんはずっと静かに自分と戦っていた。

そしてそんな春馬くんの想いは、読売演劇大賞 杉村春子賞という演技への評価というカタチで結ばれたのだ。

そしてNHKでのせかほしMCも始まり、
併せて日本製で日本各地のモノを伝える旅もしている

「僕たちMCを含め、この番組に関わるスタッフ全員が『このすてきなモノを、お茶の間の皆さんに伝えるんだ!』というアツい気持ちでつながっている。そこにウソはないし、苦労も惜しまない。その温度感が僕にはとても心地よくて。今では<せかほし>は、すっかり僕にとっての“ホームグラウンド”です」

春馬くんのインタビュー記事より

春馬くんは本当に懸命に自分に与えられた、
より良い演技をすること、より良い演技への追求。
そして周りのひとに対する思いやり。優しさを、
あの15歳で土浦から出てきた時から何ひとつ根本は変わっていなかったのだと思う。
嘘のない自分でどこまでもまっすぐで。

そういったことが彼の言っていた「より良く生きる」という言葉につながっていたのだと思う。

ローラを通して自分の演技への追求の可能性を感じて、せかほし、日本製を通して「モノ」の先にあるひととひとどうしのつながりの可能性も信じていた。

わたしが見てきた春馬くんは、ほんの一面でしかないのかも知れない。
でも少なくとも春馬くんには大きな可能性と、
より良く生きたいという大きな優しさがあったということを忘れることはできない。

今回たくさんのインタビュー記事を改めて読ませていただき引用させていただきました。
感謝しています。

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ろーず
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