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映画「太陽の子」が届けてくれるもの
太陽の子の映画を初日に見ました。教授の問いかけの君たちはなぜ戦争が起こるのかわかるかという言葉に心が動かされました。戦争の本質を突いている言葉でした。
戦争映画の視点が日本に戦争中になにが起こったのかということだけが描かれているのではなく、
家族の視点で描かれていることも新鮮でした。
原爆のことを日本とアメリカの合作映画で取り上げていることも凄いなと思いました。
愛を届けること
三浦春馬くんの裕之の登場は、京都の金戒光明寺に参拝して軍人の彼が一時帰休のため家に戻るところからです。お寺と突き抜けるような夏の空の青さと深い緑。軍服姿の春馬くんの姿が美しくてざっざっざっと歩いている音さえ愛しかったです。
この映画は、戦争映画ではあるけれど
あらがいようのない流れの中に身をおきながらも
大切な人たちを大事に思っていることを伝える映画です。音楽と映像も、とても美しくて印象的でした。
愛する人が「ただいまー」と、やっと家に帰ってきた。心を込めて今できる精一杯の食事を用意する。
その用意された食事に「お寿司や〜こういうのが食べたかったんや」と目を輝かせて裕之が喜びを伝えるシーン。京都弁のイントネーション。練習を重ねたそうです。
決して目立ったことがあるわけではない。日常にあることがとんでもなく実は、幸せなことであることを伝えてくれるシーン。幸せを最も感じることができるのは日々摂るお母さんの作ってくれる食事。
食糧事情が逼迫している中、この時にできる
精いっぱいの材料で用意したお寿司。
この時代なら、この時ならこの材料が揃うのではないかと時代考証を重ねて準備されたそうです。
軍に帰る裕之に持たせるために田中裕子さん
演じるお母さんのフミさんが熱々のご飯で握る大きなお握り。
兄の柳楽優弥さん演じる修が京都の街に、原爆投下が行われるかもしれないからそれを記録しに比叡山に登って撮影したいと言った時のフミさんの伝えた「科学者とは、そんなに偉いんか」という言葉。
亡くなったお父さんは、兄弟を国を守る軍人にさせたかった。修はずっと科学の研究をしていきたかった。それをずっと応援してくれたお母さん。
けれど科学者になった息子は落とされるかもしれない原爆の記録を撮りに比叡山に登るという。
そこに生きている命よりも科学を優先させるという想いへの一言だったのだと思います。それでも最後の別れになるかもしれない修のために握ってそっと玄関先に置いてあったお握り。
白米だけでは手に入りにくいだろうと
ほかの雑穀の比率でも計算して苦心して
実際何度も握って作ったと言われていたおにぎり。
愛する子供達に最期に用意できる食事。
丁寧な愛情がしっかり伝わるから、
比叡山の山の上でそれを頬張った修の涙に繋がるし、軍に戻る裕之のリュックサックに納めたおにぎりは、そのシーンは、無いけれど涙をこぼしながら食べたのだろうなと想像出来てしまいます。
春馬くんは自分たちの仕事は、想像力を届けることだと言ったそうですが確かに映画のお話は、
ドキュメンタリーでない限り作られたお話。でもそこには愛や真実があることを心を込めて丁寧に伝えてくれる映画でした。
春馬くんの演技を見て思うのは目の表情の素晴らしさ。そこにセリフがなくても、
輝き 喜び 切なさ 寂しさ 悲しさ 愛しさ
いろんな感情の繊細な心の動きを伝えてもらえること。見ているこちらに想いが届くこと。
戦地に向かう別れのシーン。かける言葉が見つからなくて大事な息子の耳にそっと触れ、息子は万感の想いでお母さんを見つめます。
そんな裕之の大きな目には、こぼれることのない涙があって、そして挨拶の挙手が、ほんの少し微かに震えている。そんな僅かな動作や視線の先に互いを心から愛しく大事に思っていることが伝わってきます。
いろいろな愛が伝わってきた映画でもあります。
先の教授の原爆開発に携わりながら、実は戦争に負けた後の未来に残す若者たちを守るために、この開発競争に関わっていること。
自分のできることが、科学者として実験を通して早く原子爆弾を完成させれば、それが戦争を終わらせることに繋がるはずだと願う修。
柳楽くんの個性的な演技や言葉の伝え方に、彼が修だと確信した監督の思いが伝わってくるようでした。
そして映画の要ともなる幼馴染の世津。
有村架純さんの可愛くて健気で、凛とした
強い世津は、同じ女性として惹かれます。
太陽のように明るかった裕之のふとみせた先に逝った仲間にたいして自分だけが生き残るわけにはいかないという思いと共に、戦いで死んでいくのが怖いと吸い寄せられるように海に向かって行く裕之を岸に連れ戻した修と裕之を抱きしめて「戦争なんて早く終わればいい、勝っても負けても構わん」と言い切った
彼女の強さが未来につながる姿なのだと思います。
監督が伝えてくれたこと
映画の舞台挨拶で黒崎監督が、春馬くんのことをなにも語ってくださらなかったことがとても寂しかったのですが、ロケ地では何度もお酒を酌み交わしていた二人。
公開初日挨拶では逡巡する様に言葉を選ぶように
春馬くんにたいして、「どうして彼が今 ここにいないのだろう?」と振り絞るように伝えた言葉に涙が溢れました。
春馬くんで別の作品を撮りたかった。
心に血が流れていると別の時に語ってくださいました。その作品はどんなで、そこでの春馬くんは、どんな春馬くんだったのでしょうか。
最後に思うこと
起きてしまったつらいことは、受け止めるのも受け入れるのもとても難しい。それでも生き残った人は失った人と共に、時を生きていくしかないのだと思います。
ラストシーンのあの美しい丹後ブルーの海と
そこで遊ぶ三人の無邪気な明るさに心が救われました。あとで見た写真集のそのシーンの春馬くんは、 とびきりの笑顔で笑っていました。
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