ミュージカル•トッツィーに行って迷子になって来た
山崎育三郎さんのミュージカル•トッツイーに行って来た。
育三郎さんはテレビでお見かけしていたが、
ダスティン•ホフマンが映画で演じたトッツイーがとっても楽しいコメディだったから、楽しそうな演目にだいぶ前に申し込んでいたのだ。
自分の3回あるダンスの舞台(イベント)が
終わった後のお楽しみに申し込んでおこうという軽い気持ちからだった。
噂に違わず育三郎さんの歌唱力はさすがで、とても素晴らしかった。
トッツイーの舞台のなかで、俳優たちが自分の夢や目標のためにオーディションに臨み、素晴らしいミュージカルを作っていく。
育三郎さんのマイケルの役どころは野心家で、
自信家。その個性が強すぎて演出家とぶつかってしまい役がなかなか決まらない。
マンハッタンの中で自分の将来にたいして八方塞がりの彼は、つい女装してオーディションに臨んでしまう。
それがおもわぬことから評価されて、悲劇なのか喜劇なのか女優?人生をスタートさせてしまうのだ。
自分が女性として束の間でも生きてみた時に、
男性としての立ち位置と女性としての立ち位置の違いに気がついた時に、自分がいかにいままで傲慢であったことに彼は、立場を違えて気がついていくのだ。
客席にお客さんがぎっしりと埋まっていくと
ステージ下のオーケストラ指揮者さんの指揮棒が楽しそうに音楽を奏で始めた。
指揮者さんが指揮棒でお客さんに盛り上げを促している。
とても魅力的で楽しい曲の時には全身で飛び跳ねながら曲を奏でるのだ。
音楽もスキップしているみたい。
そこに育三郎さんの声がアナウンスされ、ドロシーの声色で来場のお礼と舞台を楽しんでたくさん笑ってくださいというメッセージが届く。
それだけで会場内に爆笑の波が起こる。
その彼の?彼女の楽しそうなメッセージから、
とっても楽しい舞台になりそうという期待感でワクワクしているうちに赤い緞帳がスルスル上がっていって楽しいミュージカルが始まっていく。
俳優たちの振り切った演技に前後半3時間、
30分の休憩を挟んで時間を忘れるショーが繰り広げられた。
今日のお客さんがこのキャストで同じ時間を共有できる、唯一無二のライブ感が昔からとても好きだった。
エンターテイメントは、人生の喜びのエッセンス。私にとってずっとそうだった。
客席の私の両隣りや会場中が、育三郎さんや俳優のコミカルな熱演に声を震わせて身体中で楽しんで笑っている、とっても楽しい素敵な舞台だった。
でも、これは三浦大知くんのライブに行った時にも感じたことだけど、私はその時間をその会場の人たちと共に楽しんでいたのだろうかと考えると、どこか違う自分がいつもそこにいる。
春馬くんがこの世界にいないことが、こういう場ではあらためて思い出されて、舞台にいたはずのエンタメの中にしっかり立っていたはずの春馬くんのいない、この世界がどこか現実味がなくて
心のどこかが置き去りにされている感覚が浮き彫りになってしまう。
それは『今 ここ』の時。
映画などではなくてライブの時に生じてしまうようなのだ。
心の隙間のどこかに風が吹いていて、心の底から笑ったり泣いたり、『いま ここ』に自分の一部がいない感じ。
この欠落感が埋まる時が来るのだろうか。
楽しいミュージカルの最中にふと迷子になっている気がした。
でもこの感情は、きっと春馬くんの望むところではないだろう
客席のどこかでこの楽しい舞台を熱演しているキャストに育三郎さんのドロシーに、熱い思いで楽しんでいる春馬くんがいるかもしれない。
春馬くんがいる舞台に行きたい。
イリュージョニストのフル再演が決まった。
春馬くんは是が非でもやりたかったよね。
私は観に行きたいって願っては、いる。