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星野道夫さん写真展と太陽の子•石村家

その本はおすすめのところにそっと置かれた一冊だった。
ぱらぱらとめくってみたら文章の言葉がただただ美しかった。

アラスカのことが書いてある本だった。
アラスカのことをなにも知らなくて
本に書かれている自然への描写があまりにも美しくて
どんどんその世界のなかに引き込まれていった。


星野道夫さん写真展と「旅をする木」

その本を書いていたのは「星野道夫」さん。
本のタイトルは「旅をする木」だった。

数年経って三浦春馬さんの愛読書だったと知った。
春馬くんも星野さんの美しい文体と言葉の選び方
自然にたいするその表現力と描写にきっと惹かれていたのだろう、アラスカを訪ねてみたいと言っていた。
春馬くんもとても自然を愛する人だった。

京都で「星野道夫」さんの写真展を見ることができると偶然に知って、やもたてもたまらず
平日の朝早く、京都駅への電車に飛び乗っていた。

写真展には星野さんが学生の頃に街の古本屋さんで初めて偶然に見てアラスカに惹かれたという古い実際の洋書や、そこに載せられていたなにもない真っ白な氷原のうえにポツンとあった村の航空写真も大きく展示されていた。

その写真に写るアラスカのエスキモー村の村長さんに
「自分は学生ですが航空写真で見た村を訪ねたいのです。自分が泊まることのできる家や仕事を紹介してくださいませんか」というような内容の英文の実際に書いた手紙やエスキモー村の村長さんからの
「夏のあいだは人手が入りますので受け入れることが出来ますよ。いらっしゃい」というような返事の手紙が日本語の翻訳と共に写真展の透明な展示ブースの中に置いてあった。

学生の星野さんが古本屋さんで、もしこの航空写真を見なかったら。実際に村を訪れたいと思っても、
それは夢物語と手紙を書いて出さなかったら。
そしてその手紙がエスキモー村に届かなくて、村長さんが受け入れの返事を書かなかったら。
星野さんの人生は変わっていたのかしらと思いながら、わたしもその氷原のエスキモー村の写真を見つめた。
その後、村を訪ねた星野さんが村の子供たちと一緒に撮った写真もあった。
その子供たちの顔はアングロサクソン系の顔もあったけれどモンゴル系なのか、とても私たちに似通っていて、その中で暮らしている一枚の写真の星野さんは違和感なく、日本人だと言われないとわからないだろうなと思うものだった。

写真展はそんな若き星野さんが奇跡のような出会いをしてアラスカの北極圏のエスキモー村を訪ねた若き日から、アラスカ大学に行った頃、また日本に戻って写真家修行をして本格的な自然を撮る写真家としてアラスカに戻り、その地で撮った数多くの極北の自然や動物の写真と共に星野さんの人生の折々で出会ったたくさんの人たちの写真と星野さんの人生の順を追った年表と共に紹介されていた。
愛用のカメラと一緒にお気に入りの万年筆でその世界を文字にも表現していかれたのだと思う。
カメラと原稿や万年筆も展示されていた。

写真たちの中には星野さんのその時々の素顔や星野さんの撮影を助けていた仲間のブッシュパイロットの笑顔や星野さんの現地で出会った人たちの写真もたくさんあった。

本で知っていた物語のその時々の話しが実際の大きな写真と共に展開されていったのはすごいことだった。

星野さんは一枚の写真を撮るために、時期を選び、
交通網のない厳しいアラスカの地に飛行機でブッシュパイロットに運んでもらい、そしてその一ヶ月後に迎えにきてもらえるまでキャンプを貼りながらその場にたったひとりでとどまって動物や自然との、その奇跡の瞬間をファインダーに収めるためにずっと過ごしていたという。

その奇跡の写真たちは雄大なアラスカの自然と共に
すごい迫力でなんと表現してよいかわからない瞬間の時が刻まれてそこにあった。

動物たちを、自然を見つめる星野さんの眼差しがただただ優しかった。
ほんとうに優しい写真が多かった。
確かにその土地で生きていくことは狩をして
動物である獲物を仕留め、解体して白い氷原が真っ赤な血で染めてある多くの写真もあったし、
解体されていく中でどんどんその動物の肉や骨が剥き出しになって、鯨の顎だけが残されて写っているというような驚きの自分のいる世界とはいっさい交わらない世界のものだったけれど、こうやって漁や狩をしてその命をいただいて生きながらえていくのだという生命をしっかり写し取った覚悟のある写真だった。
村の古老たちの深い深い眼差しが印象的だった。

星野さんが本で書かれた、
わたしの頭のなかで描いたアラスカだったけれど、
見てきたものは、もっともっとリアルで雄大で激しくて美しくて、そして優しかった。
星野さんがその被写体に限りない愛を持って
とらえたその瞬間の奇跡が詰まっていた。

たくさんの印象的な写真だったけれど
わたしが意識なくポストカードに選んだものは
偶然にも写真展のシンボルとなった雪を口のまわりにたくさんつけて目を閉じて手を合わせてまるで祈っているようなシロクマと雄大な雪山を背にして群れから逸れたカリブーが一頭で流れる広大な凍った川のそばを歩いている写真だった。

シロクマの親子は、たった三年で親離れするらしい。過酷な極北で肩を寄せ合ってブリザードの中で暖を取り合っている姿もあった。

生命ってすごい。生きているってすごい。
生かされているってすごい。
生命の愛と躍動を感じた写真だった。

太陽の子 ロケ地、石村家

午後からは、やっと暑さが緩んだので
お昼を食べてから、かねてから訪ねてみたいと思っていた地に行ってみることにした。

映画•太陽の子のロケ地のひとつ。
春馬くんの役どころの「石村裕之」さんのご自宅だった。京都駅に戻って銀閣寺道バス停を目指した。
銀閣寺通りバス停を降りてすぐの神楽岡通りを歩いていくとカフェ茂庵さんの看板があり、その道への途中の石階段のうえに石村家ロケ地があるという。
大正時代に建てられた建物群らしいのだけど、現在は一般の方がお住まいになられているそうだから、
ご迷惑をおかけするわけにはいかないので
さっと通ってみるくらいしか出来ない。

銀閣寺通りを目指して市バス乗っていると、だんだんと大文字山近づいてきた。
ああ やっぱりここは太陽の子の世界の一部なんだな
と独り思った。

バス停を降りたって神楽岡通りを探す。
しばらく道通りを歩いて茂庵の看板を探すけれど
当時の地図と周りが変わっているのか、
見落として行きすぎてしまったのに気づいて
もと来た道を戻っていく。
地元の方に看板のありかを聞いて
茂庵さんは定休日なのに目じるしにしてしまって申し訳ないと思いながら、とっても人気店だそうだから開いていたとしても、飛び込みで訪れるのはなかなか難しいと言われている。
茂庵さんの看板をやっと発見して石段を一段ずつ
上がって行く。結構高台で、映画でも引っ越し荷物を持ったせっちゃんとおじいちゃんをおぶった修さんがこの石段を上がっていて、そして石段を登り切って振り返ったら大文字山の文字が見えていた。
実際にこの街は大文字山のお膝もと、
どこを歩いていてもお山がすぐそばに見えます。
この山に灯火が灯るお盆に見ることが出来たら
どんなに感動するでしょう。
やっと軍人だった裕之さんが一時帰休で帰ってきた
お家にたどり着けました。
「ただいま帰りました」とお母さんのフミさんに
挨拶をしたお家の前。
お母さんのおにぎりを抱えて二度と帰って来られないだろうと震える手でお別れの挨拶をした道。
春馬くんが振り返らず歩いていった道。
心のなかで「行かないで」とフミさんやせっちゃんと一緒に祈ってしまった路。
ここに確かに春馬くんの裕之さんが立っていたのだと
そしてこの大文字のお山を見たのだと風が吹きそよぐ
石階段のうえで思いました。
そこは優しい景色でした。



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