カズオ•イシグロさんの「クララとお日さま」を読んで
カズオ•イシグロさんの「クララとお日さま」を読んでいた。
蘇って来たのはやっぱり「わたしを離さないで」だった。
作者が同じだから作風が少し似ている。
そして子供たちを描く様子が生き生きしていて「わたしを離さないで」のトミーやキャシー(トモや恭子)の子供時代がよみがえってしまった。
クララはAIロボット
都会のショーウインドに飾られているクララは、B2型と呼ばれるAIが搭載されているロボットだ。
雑貨なども一緒に販売されているようなおしゃれなお店で服を売るマネキンのように飾られて販売されている。クララの容姿は黒髪のショートカットで少し浅黒くて容姿はフランス人のようだと形容されている。
イシグロさんの小説はいつも設定がどこかわからない少し近未来を描かれている。
その世界ではお金持ちの子供におもちゃを与えるように友達としてAFと表記されるAI搭載ロボットを用意する。
ショーウインドに飾られている彼•彼女らを買いに来る人たちの様子はまるでペットショップで動物を購入する様にも似ていて、AIロボットの彼女らはどれぐらい自分の境遇を理解しているのだろうかと思うけれど、クララにおいては、とても思慮深い観察力や洞察力のあるロボットで、お店で友達になる購入者を待ちながらもショーウインドの中から、社会を眺めて観察することと、お日さまの光を浴びることが大事なことだった。
クララたちロボットは太陽の光を浴びることをエネルギーとしているからだ。
クララは、友達となる人間に自分の全てのチカラを与えることで彼らが幸せに暮らしていけることを最大の自分のミッションと考えているようだった。
クララたちの住む社会
AIロボットは技術革新によって臭覚もあり運動能力の高さも備えたB3型の最新ロボットが、すでに販売されていて、B2型ロボットであるクララは、すでに型落ちではあるし、クララたちを購入する側の人間世界も「向上処置」という手術を受けることで格差社会の線引きがしっかりとされている。
本の中でその「向上処置」のしっかりとした説明がないのは物語の語り手がロボット自身であるクララで、彼女が人間社会の理解の受け止めが違っていたからかもしれない。
処置は、人間を遺伝子組み換えする手術らしく、それを受けるも受けないも本人や家族の自由意思らしいけれど、受けないと社会的落伍者として定義され、ほとんどの大学進学も拒否され、未来を閉ざされる世界であるらしい。
クララをお店のショーウインドで見て気に入って型落ちのB2型であってもどうしても買いたかったジョジーは、病弱な女の子で、目に知的さと優しさを湛えたクララをお母さんを説得して家に迎え入れる。
本の中では、はっきり書かれていないけれど、
ジョジーの病弱な理由はその「向上処置」のせいでないかと思われて、社会では遺伝子組み換え手術を乗り越えられない個体は淘汰されてしまうのかもしれない。
ジョジーのお姉さんのサリーも理由は、言われないがすでに幼い時に亡くなっているし、
ジョジーが体が弱く、しょっちゅう寝込んでしまうのもそのことが原因のようだ。
クララとジョジーとリック
クララを販売しているお店は都会にあるが、
ジョジーが住んでいるところは田舎のようで田園である。そこではたくさんのお日さまを浴びることが出来る。
ジョジーの両親はすでに離婚していて仕事に忙しいお母さんは、ジョジーの生活と日常の世話は昔からいるお手伝いさんに任せていて、病弱な彼女には友達も少ない。
そこでクララは友達になるべく生活を始める。
ジョジーには隣の家に住んでいる幼なじみで子供の頃からの将来の計画を持つ恋人リックがいる。
リックの家は父親もいなくかなりの貧乏で、やはり体の弱いお母さんがいて、リックは「向上処置」を拒否していた。
拒否したということは、彼ら家族にはこの社会における未来がないということで、リックには、大学進学のチャンスもほとんどなく、社会においても落伍者として、一般社会で周囲と付き合いにくいらしい。
処置を受けなければ社会落伍者で、受ければ遺伝子組み換えを乗り越えられない個体であれば生き残ることも出来ない。身近にAIロボットがいるなどの近未来の世界と臓器提供するためのクローンのいる世界を描いた「わたしを離さないで」も、どちらもとても厳しい社会だ。
クララの愛
「わたしを離さないで」では、彼らの生い立ちや閉鎖社会で子供時代を過ごしたことやそこでの人間関係、そして大人になって一般社会から隔絶された現実世界の中で臓器提供を要求されながら人を愛することや希望を持つことや生き様を描かれていたけれど、「クララとお日さま」では、物語の中心があくまでロボットのクララから見た子供の世界とその親たち。そして理不尽な処置社会の中で生きるリックとそのために身体を壊したジョジーのことが描かれていているからそこでは、クララがジョジーの友達として彼女の考える使命を遂行し、ジョジーの幸せを願って動いていく友情が描かれていく。
病気のために死が目の前までやって来たジョジーの再生を願って行動していくクララの思いが強くて心を打たれてしまった。
クララの生。あえてクララの生と呼ぼう。彼女にとって「生きていく」ことは自分の使命を遂行していく、ということなのだろうと思う。
イシグロさんの世界は厳しいけれどどんな立場であろうとも誰かが誰かを愛して、その人の幸せを願って行動していくその気持ちが愛なのだと思う。
ロボットと人間の友情と言えばのび太と別れて未来に帰っていく「ドラえもん」のようだけれど、クララの終わりは成長したジョジーとの別れが切なくて、悲しい。