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映画リトルダンサーとミュージカル•ビリー•エリオットを観て

もうずいぶん前になるけれど
「リトルダンサー」という映画を観たことがあります。
主人公は、ビリーという10代前半の少年。
設定は1984年のイギリスです。


映画•リトルダンサー

ビリーは、お母さんを病気で亡くしていて炭鉱夫をしているお父さんとお兄さん。ちょっと認知症気味のおばあさんと一緒に暮らしています。

ビリーは、町の教室にボクシングを習いにいき、
居残りを命じられたせいで、ある日偶然にもバレエのレッスンを目にします。
言われる言葉の意味も動作もわけがわからない。
なのにバレエのレッスンは、なぜかボクシングのレッスンよりもビリーにとってとても肌の合うものでした。

けれどお父さんは誇り高い町の炭鉱夫です。
バレエのレッスンを受けたいなどと言ったところで
理解してはもらえない。
ビリーは、黙ってボクシングに通っていることにしてバレエのレッスンを続けることにしました。

ここでビリーの当時の住んでいたイギリスの状況、そしてなぜビリーがお父さんにバレエのレッスンを受けたいと言い出せないのかの背景を軽くお伝えしたいです。それはこの映画にとってとても重要な要素だと思うからです。

1984年までのイギリスはエネルギーを石炭に頼っていましたが鉄の女と言われたサッチャーさんがその頃、国有業である炭鉱事業の合理化を推し進めていました。

それに反発した炭鉱企業の社会労組が全国的にストライキを敢行し2年にもわたるストライキに突入した年でした。ものすごい炭鉱不況の時代です。

今の世界を見れば地球温暖化が進むなか石炭事業が縮小していくことは時代の流れなのですが、
産業革命以来のイギリスを支えてきた炭鉱は、その仕事を生業としてきたビリーのお父さんやお兄さんにとって尊厳を侵されるような出来事でした。

リトルダンサーの主人公であるビリー•エリオットの家族やまわりの人たちにとって、この自分達の仕事が国を今まで支えてきたんだという自負とそれを否定された現状が背景にあることがこの映画にとって、とても大きなものだということです。

そんな炭鉱の街で育ったビリーやその友達マイケルにとっても将来は炭鉱夫になって石炭を掘り出し、それがイギリスや自分を支えていくことだと思われていました。

映画では、お父さんたちの置かれた現状。
ストライキが敢行されて警察も介入し、国とお父さんたちが対立していくということ。
そのなかでビリーは、バレエのレッスンをしていることが家族にばれてやはり大反対され、その状況のなかでビリーにとってバレエってなんなのか、踊ることってなんなのか、家族ってなんなのか。仕事ってなんなのか。
そのようなことが全編にわたって問い続けられる映画になっていました。

わたしは20年前に一度観ただけの映画なのに
その内容とともにラストシーンが忘れられないでいます。ラストシーンのビリーはロイヤル・バレエ団に入団して成長したオールドビリーと呼ばれる姿でした。
彼は天使のような軽やかな圧巻のバレエを踊ったのでした。そのオールドビリーの役は、ロイヤル・バレエ団ソリストのアダム•クーパーが若い頃に演じたのでした。

ミュージカル•ビリー•エリオット

2年前に観に行ったミュージカル「雨に唄えば」は、
往年の俳優ジーン•ケリーが映画でタップダンスを披露した名作ですが、その後ミュージカル化され、日本キャスト版では春馬くんがやる予定だったと言われています。主人公ドンは、外国キャスト版では、このアダム•クーパーが演じていたのでした。

当時の映画「リトルダンサー」は強烈な印象を残して
映画に影響を受けたイギリスのミュージシャン、
エルトン•ジョンをはじめ、いろいろな人のチカラでその後、ミュージカルになります。

今回、わたしはその日本キャストによるミュージカル「ビリー•エリオット」を観にいくことが出来ました。

主人公が少年なのでビリーのオーディションは、
一年にもわたる育成オーディションによって何次にも選考があって、応募総数1375人という、たくさんの少年たちの中から選ばれた4人のビリーによるクワトロキャストでした。

複雑な時代背景、早くに母を亡くし、無骨で不器用な父親に育てられながらの繊細な感情も表現しないといけないこの役は感情表現とともにバレエダンサーになっていくお話なので身体能力にも問われます。小さい頃からバレエに親しんでいる少年たちが選ばれ、みんながとても素敵でした。
役を通して若い彼らはたくさんの時間をビリーになるために費やし、どんどん成長していきながらこの役を表現していく二度とない少年期の時間の中でこのビリーになっていったそうです。

たくさんの名作映画が元になってミュージカルとして表現される。それはキンキーブーツもそうであったように原作のストーリーが秀逸で映画として評価され、そして舞台化していくということなのでしょう。

ビリー•エリオットはミュージカルとしてトニー賞10冠をはじめ日本でもたくさんの賞を受賞しています。

ミュージカルを観るということ

今回ミュージカルの舞台を観ながらその時のキャストと観る人にとってその共有した時間は一期一会なんだと思いました。

どれだけのお稽古を重ねてきたとしてもその舞台は二度ないその貴重な記録の残らないひととき、ひとときの積み重ねなのです。

ミュージカルのビリーも映画のビリーのように鮮烈で、その一瞬の積み重ねのためにその時の自分のすべてを捧げて躍動していました。
彼らの真剣なすべての想いとカラダを駆使して演じている姿を観ていると涙がこぼれ落ちていきました。

春馬くんがミュージカルに惹かれた想いが伝わってきたように思いました。

映画を観た20年前のあの時もわたしは踊っていて
だからこそ、この映画を観たいと願い、それから20年踊り続けてきて、自分の踊ることへの情熱がどんどん減っていっているのを日々感じていました。

ただ踊りたいと願い続けたビリーの想いがわたしにも伝わってきて、「ああ そうだった、わたしもただ踊りたかっただけだったんだ」と思い出していました。

観ることのかなわなかった春馬くんのキンキーブーツを観たいと熱望してきたけれど、こうやって舞台を目にすることは、やはりその時に与えられた唯一無二のことだったのだと思います。

唯一無二としてのその時のローラを春馬くんは、
あのビリーの子供たちのように演じていたのだと想像しました。

「これを観ずしてミュージカルは語れない」
ミュージカル、ビリー•エリオットの偶然に手にしたフライヤーに書かれていた言葉です。

春馬くんがカミナリに打たれたように惹かれた
ミュージカル「キンキーブーツ」
ミュージカルのマインドが少しわかったような気がします。

映画「リトルダンサー」は、
20年以上の時を超えてデジタルリマスター版が今、興行されているそうです。

名作は残り続ける。
春馬くんも映画やミュージカルの歴史のなかで
記憶に残り続けていくのだと思います。

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ろーず
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