スマホで文章を書くということ
初めての投稿もそうだが、今回もスマホでこの文章を書いている。
「書いている」と記すこと自体に違和感を感じるのは自分だけだろうか。
自分にとって「書く」ということは、実際にペンを持って紙に何かを表していく、というイメージだ。「書く」という言葉自体、「引っ掻く」などという「掻く」の部分が元になっているそう。つまり、木とか石とかそういう物を引っ掻いて文字を表していたわけだ。
思えば現代社会において、自分の手で文字を書く、ということはだいぶ少なくなった気がする。
毎日の日記は紙に書いているものの、それ以外では簡単なメモ書き程度にしか紙とペンは使っていない。
例えば学生時代、消しゴムはそれなりの頻度で買い替えていた気がするが、今筆箱に入っている消しゴムは3年ぐらい同じ物のままだ。
出番が少ないが為に長命を保っているという事実は、彼にとって幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか。
ともあれ我々は今、圧倒的にスマホをはじめとした電子機器で文章を作ることが多い。
それぞれ指先ぐらいは使うものの、文字の一つ一つは簡単に出現し、簡単に消滅する。
既に書いた文章をコピーすることも、文章と文章の間に別の文章を入れることも自由自在である。消しゴムを使ってちまちま消したり、同じ文章を頑張って何度も書く必要は無い。便利だ。
だが簡単に修正がきくだけに、適当に文章を書き始めてしまうこともよくある。どうせすぐに加筆も修正もできるから、と後先に考えず文章を書き始めてしまい結局まとまりのない文章となってしまうのだ。
対して原稿用紙などに作文を書くときは、全体の構成や文章の趣旨を明確にしたうえで筆を執るようにしていたように思う。書き直すのが面倒だからだ。
言ってしまえばスマホでの文章は「見切り発車」が増えてしまっている。
今こうしてスマホでポチポチ(この表現も古いか。)文章を作っていてもその場のノリで書いている感じが否めない。
そうは言っても手を使って書くという行為は疲れるし、誤字も増えるし、効率も悪いので今さらやりたいとは思えないけれど。
今は学校でもタブレットが導入されたらしいので、ますます自分の手で書くという行為は少なくなっていくのだろう。
ゆくゆくは今と比べて異様にペンダコができやすい人類へとなるのかもしれない。
余談ではあるが作家の資料館に行くと作品の原稿が置かれていることが多々ある。作家の筆跡や内容を修正した痕跡などがうかがえて面白いのだが、これから先の時代の作家の資料館はどうするのだろう。まさか電子データを展示するわけにも行かないだろうし…。