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脚本が残念だった、「観るまでもない」作品

プロフィールに書いてます通り、私は脚本家志望なので脚本を書いています。と同時に脚本を読む事も沢山あります。
そもそも脚本、とは映画やドラマの為に書き起こされる設計図であり小説とも台本とも違います。その中間に位置するようなものです。シナリオと言われますが海外ではスクリプトと呼ばれるのが一般的だとか。

関心を抱くのが、良い脚本

今は脚本そのものが商品となって売られる事も多いのですが、基本的には制作過程で使われるものでありあまり一般視聴者の目に触れる事がないものなんですね。仮に読む機会があったとしても公開後、放送後に発表され「過去作」として読むのがほとんどです。それで「面白そう」「映像で見てみたい」と感じて実際に観るアクションに繋がることもあると思いますが、そうなれば脚本を公開する意義があったと言えますね。
なかなか、上映中やまして上映前の映画の脚本を読む機会はありませんが、まれに今まさに映画館でやっている作品のものを読めることがあります。

昨年11月、「天間荘の三姉妹」という北村龍平監督・嶋田うれ葉さん脚本の作品を読む機会があり、興味をひかれたのでそのまま映画館に赴いたことがありました。

感想記事はこちらですが、良作でした。
脚本を読んで、どこに惹かれたのかを具体的に述べると、優那というキャラがとても魅力的で是非映像で観てみたいと思ったんですね。山谷花純さんが演じていましたが、本で感じた魅力がスクリーンの中にありました。

関心を持てないのは、悪い脚本


現在、市販のシナリオ誌にも掲載されています

そして今月、まさに現在公開中の「銀河鉄道の父」の脚本を読む機会がありました。これも読後の感触次第では映画館に足を運ぶ可能性がありましたが…

観たいと、全く思わなかったです。

こちらは作家・宮沢賢治の父、政次郎を主人公に据えた小説原作のヒューマンドラマなのですが、賢治が生まれて亡くなるまでを追った作品です。政次郎役が役所広司さん、賢治役・菅田将暉さん、妹のトシが森七菜さんと豪華キャストで、これを理由に関心のある方はご覧になってもいいと思います。
私が関心を持てなかった理由として、映画としての構成が感じられなかった事があります。原作が小説だからなのか、実在の人物が題材であるがゆえなのか、終始ただ事実を追っているだけの物語で読んでいて引き込まれる部分がなかったのです。

映画は総合芸術と言われています。
画の美しさや役者さんの演技、音楽も観る意義になりえます。ので、これはあくまで「脚本を読んでの印象」に過ぎない事を前置きしておきますが、この映画は「観るまでもない」と判断しました。
脚本を読んだことが、私的には仇になった作品だと言えます。

映画化において、脚本が出来る事

まだプロでもない人間がプロの書いたものにダメ出しとは何様だ、と言われそうな論を書いていますが、例えばステージに立つことを夢見るバンドマン達がステージ上で怠惰なプレイをするプロのバンドを見たら憤りを覚えるでしょう。その機会を俺たちに寄越せ!という気分になるのは自然だと思います。

色々な事情や経緯があってこの形になったであろうと推測は出来ます、執筆者インタビューにもそれは書かれていました。それは把握した上で、「映画にするのならば、こうするべきだ」という脚色案が私の中にも沸いています。

・「家族愛」がテーマであれば、賢治の書き手としての奮起をクライマックスに据えて妹の死をクローズアップする(賢治の最期までは要らない)

・政次郎が主役なのだから、賢治のダメ人間ぶりと文才の二面性をより強調し、父親の葛藤をもっと前面に出す(妹の話は削る位でいい)

・作家・宮沢賢治が名作を生むまでの軌跡に焦点をあて、読んだ父の感動を最大のヤマ場にする(今作、作品の内容にほとんど触れられていない)

この三つのどれか、にすれば「面白い脚本」になったと思います。
原作ありきだと難しい面はあるのでしょうが、原作をなぞるだけの映像化に意義があるのでしょうか、それは脚本家や他の映像スタッフを軽視する事に繋がってはいないでしょうか。

今後「銀河鉄道の父」を観る機会があるのか否かわかりませんが、少なくとも脚本は不出来で「勿体ない!」と思ってしまった、というお話でした。


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