仮面ライダー展回顧録その2…挑戦の軌跡、平成仮面ライダー
昨日の続き、平成仮面ライダーの話です。
ビデオの時代、平成
昭和ライダーはテレビの勝者だった、という話を前項でしましたが、昭和がテレビの時代であるなら平成はビデオの時代だと感じます。もう録画という概念が一般化し、平均的に「視聴率」というものは下がっていったので、仮面ライダーの放送時間もまた夕方から早朝へ…という変化がありました。
平成仮面ライダーというとクウガからジオウまでの20作品を指します。令和となった現在も継続中ですが、次のガッチャードで25作になります。スーパー戦隊はそれ以上ではありますが、仮面ライダーももう「終わらないシリーズ」になっているのが伺える継続年数です。かつてはストロンガーまでの5作、5年間が最長だったことを考えると平成シリーズは躍進したといっていいでしょう。その要因は何だったのか?色々な理由があると思いますが、「ビデオ時代」に沿った作りにしたことが大きいと思っています。繰り返し観ること、もう一度見返すことが当たり前になったので、各話完結ではない連続性のあるエピソードを展開するようになったんですね。昭和と平成の大きな違いは、そこです。構造的にNHK大河ドラマと同じなんですね。平成一作目であるクウガも2話完結のスタイルで、アギト、龍騎、555、剣…これらは全て一年を通した物語になっています。もちろん各話ごとに解決を描いてはいますが、「来週の怪人は~」という昭和のフォーマットとは大きく異なるものです。
賭けに勝ったことと、そのリスク
平成仮面ライダーは、スーパー戦隊とは違う独自路線で評価されシリーズ化への地盤を固めていきました。「お約束」を壊すという賭けに出て、ある意味マンネリ化による限界を迎えた昭和シリーズを超えたといっていいでしょう。
・連続性のある物語
・仮面ライダーが複数登場し、敵味方の概念が揺らぐ
・「改造人間」という設定を廃し、主人公を身近な存在にする
平成が変えたものは、こんなところでしょうか。
古来のファンからそっぽを向かれかねない変革が功を奏して、特にアギトの視聴率は高かったそうです。
ですが、
主力商品である玩具売上は、9作目のキバまで低調だったことが見て取れます。カードやメダルというコレクション性のあるものを用い始めてから売り上げは伸びていますが、俗に言う「平成一期」の頃は苦戦していたことも判りますね。
新しい路線を打ち出し、成功したことは大きいがそれを毎年続けていくことは容易ではない。番組の人気や評価は、商品の売り上げと必ずしも比例しない。
映像作品をビデオで観る事が当たり前になり、視聴のハードルが下がったがゆえに希少性、価値が薄れ「継続に必要な数字」を挙げていく戦略が複雑化していく。シリーズ化には成功したものの、保守的な作りで年数を重ねているスーパー戦隊(ここには異論もあると思いますが)と比べ綱渡りの状態が続いていたのが平成仮面ライダーではないでしょうか。
これも語弊があるとは思いますが、商業優先に走った結果内容の陳腐化が避けられなかったり…という実情も目の当たりにしてきたと感じています。現在は無くなった、いわば春の劇場版ですね。世界観やストーリーを掘り下げるものではなく、ただスクリーンに仮面ライダーが映っていればいい、とでも言いたげな粗雑な作品が毎年作られていたのです。
これは仮面ライダーとして前例のないシリーズ長期化が招いた弊害だったとも言えるでしょう。現在、夏も冬もライダーの劇場版は興行が振るっていませんが、映画館に足を運ばせる求心力を失っている由々しき実情を感じてしまいます。
「仮面ライダー」が巨大コンテンツに成長した、それゆえに勢いを失いもした。それが20作を数えた平成仮面ライダーの結果だと思います。
個人的に、ジオウの劇場版などはあまりに酷く見苦しさすら感じました。
それでも、名作数知れず、確固たるファンに支えられて
そうは言っても、東映も映像制作のプロ、個々の作品はそれぞれ魅力があり、ファンも膨大に存在します。私も批判的なことを書きながら根本的には好き、という意識を持っています。仮面ライダー展ではそれを再認識してきました。
振り返ると、ディケイド以外全部一年ものというのも凄いところです。
たくさんの「好きな作品」が重なって歴史になっている仮面ライダー、これからも続いていって欲しいという思いは、ありますね。
どの作品も、魅力的でした。