【スト6】「誰でもマスター」に対する考えを綴ります
ここ最近、ツイッターで「誰でもマスターになれる」という話題が物議を醸しているのを見まして、少し触れたくなりました。
発端がどこかはわからなかったのですが、大方の争点として「誰でもマスターになれる」という発信に対し、そうだorそんな事ないという意見が飛び交っているもののようです。
この発信の真意は…?
大元になった「誰でも~」というのが、そもそもどういう意図で言われたかが分からないのですが、単純に二通り考えられますよね。
①マスター以上のプレイヤーによる「自分はまだまだ」という意味
②スト6のシステム的に、マスター到達の難易度が低いという意味
他にもあるでしょうが、どれもこの二つからの派生になるのではないでしょうか。①ならば特に問題はないのですが、②の意味で受け取った人達による言い争いが起こっているようです。インターネットあるあるですが、ナチュラルに伝言ゲームの応酬が行われており、本来①の意味だったものを②、さらに自分への攻撃だと受け取ってしまう人もいるんですね。
それは、「マスターに行けない人をバカにしている!」という反論に現れています。とりあえずこれを見た人が、全員①だと思えばケンカになることなど無いのにな~と思ってたりします。
…そう言って、発端が②の意味でしかも嘲笑の意図まで含んでいたら目も当てられませんが。
その時は大変喜んだものです。何せオンライン対戦で最高ランクに達したのは、ドリームキャスト版ストⅢ3rdにおけるMSF(マスターオブストリートファイター)以来だったからです。
ですが、その後PS4版からPC版に移行したあとは使ったキャラでポンポンマスターに上がっていき、今は4キャラマスターです。振り返ると、私も「誰でもなれる」を主張する側になっているのですが…。
結論と、マスターになるには
一連の論争を見て、私自身の所見を申し上げますと…
「マスターは誰でもなれるわけではない」
が、結論だなと思います。
発売から一年以上が経っても一割未満、やはり最高ランクたる壁の高さは健在のようです。では一部のプレイヤーにしかなれないのか、といえばそれも違う気がしますけども。
この論争のあれこれを見ていると、
「プレイ時間が潤沢に取れない人もいる」
「調べものや練習が苦手な人もいる」
「そもそも格ゲーが合わない人もいる」
という意見まで目にするのですが…
「いや、そんな人でもマスターになれますなんて誰も言ってないだろう」
と、思ってしまいます。
私も社会人ゲーマーで、毎日プレイはしていませんしやる日も就業時間のようにやっているわけでもありません。というか大方の人がそうです、ですがマスターにはなれています。結局、取り組み方次第なんですよね。
しかし上記のような個人の問題を持ち出して「無理、無理」というような人には無理ですねとしか言えません。
私はまだ4キャラですが、停滞することなくLP25000に届いているのでこの先、別のキャラでもマスターは行けそうだな、という手応えを感じています。というかそんなに難しい話でもありません。マスターになるためには、「スト6が上手くなればいい」んです。
それこそ、上達のための情報はネットで無尽蔵に手に入るのですから、
「ランクマッチで勝ってLPを上げる」
ためではなく、ゲームそのものが上手くなることを目指してプレイすれば気が付いた時にはマスターに上がっています。伸び悩んでいる人は、今の実力でLPを稼ぐことを考えすぎなのだと思いますね。それより、基本的な立ち回りを基本的にこなすことが大事です。それだけでマスターになれます。
続けて、基本的な立ち回りとは何かというと、
「地上戦をやって、対空をやって、攻める時は攻め、守る時は守る」
です。人によって得手不得手はありますが、どのキャラを使ってどのキャラと戦おうがこの立ち回りの基礎は変わりません。
ですが、伸び悩む人はこれのどれかが極端に弱いことが多いと推測できます。この立ち回りをやっていれば、大きく崩れることはないからです。私はマノン使いなので発売当初からジリジリ地上戦をやってきたクチです。というか古参ゲーマーなのでストリートファイターとはそういうものだと思っています。
ですが、とにかくラッシュで攻め込め、みたいなキャラでラッシュに依存しているとすぐ壁にぶつかるでしょうし、オフェンスでもディフェンスでもやることが多いゲームなので大変ではあります。ですが、基本は大事です。
私も大した腕ではありませんが、「マスターになれません…」という人にはその基本の大切さを伝えていきたい、と思ういちプレイヤーであります。
「マスターには誰でもなれるわけではないけど、難しくもない」
5キャラ目は誰にしようかな~と考えつつ、自分の思いを綴ってみました。