突然仕事を失くした、15年前の話
今日は、例のnote企画から#転職体験記を綴ろうと思います。
と、言っても純粋な転職の話ではなく、勤めていた会社が潰れた時の実体験です。
それまで経験の無い、出来れば無い方がよかった働いている会社の倒産という出来事が15年前にありました。
予兆は、かなりあって…
その会社には2004年から5年ほど勤めていて、地元でパチンコ店経営をしていました。本社は九州・宮崎にありそちらでも数店舗構えていたようです。私は当時そこに入社、ではなく登録していた人材派遣会社の紹介で、新店舗オープンに併せ従業員として入ったんですね。その年の夏でした。
新店にオープニングスタッフとして入る、ということでその時は揚々としていたものです、何より仕事探しに奔走していて、早く決めたい…と願っていたので決まった時の喜びが大きかったのを覚えています。
新規開店したのは6月の末だったかと思いますが、忙しかったのは最初の一ヶ月くらいで、すぐに客足は落ち込んでしまったんですね。お店に問題が…今思えばあったのかもしれませんが、田舎特有の地元意識、といいますか他所から来た会社、チェーンはなかなか地域に馴染めないのかなと考えます。これについては地方を悪く言っているのではなく、そう思った根拠を後述します。
その後リニューアルを図ったり、色々と施策は打ったものの劇的に上向く事はなく、また近場に大型店が出来るなどの逆風もあり、5年後には会社が倒れてしまいました。その2年前から役職者の退職が相次いだりしたので、私ども下っ端従業員も噂はしていたのですが、いざ「終わります」と言われるとやっぱりそれなりの動揺はありましたね。
…いや、朝9時に開店して最初のお客が入ってくるのが昼過ぎ、なんて有様ですから無理もなかったな、と今でも思いますが(苦笑)。
President's tears
忘れもしません、2009年の5月28日。その日の営業を終え閉店作業…店内清掃を終えた後、全従業員が事務所に集められました。
実はその頃、専務をはじめ役員な人達は皆居なくなっており、社長一人になっていたんですね。ハッキリと聞いた事はなかったのですが、宮崎にあった店舗はいつの間にか全てクローズしており、我が勤務先が最後の砦になっていたようです。
「大事な話があります」と言った社長は目を真っ赤にして、従業員の前で深々と土下座をしました。
「本当に、申し訳ない!!」
今まで聞いたことがなかったような、社長の大きな声で告げられたのは2日後に電気が止められるので、営業できるのが明日まで、という驚きの事実でした。そして社長は明日の夜高跳びするのでこの店は終わり、と。
ただ皆さんの給料は明日までの勤務で計算して直接お渡しするので、どうかあと一日働いて欲しい、との事でした。状況が良くない、というのは解ってはいたのですが、従業員全員が何も言えず、それを承諾してそのまま家路に着くのみでしたね。
最終日、社長は「追手を気にかけている」スパイ映画のような素振りでいました。一体、どんな状況だったのでしょうね。
最後に、建物を出る社長と話したのは私でしたが、
「家族に会えなくなるのが辛い」
と言っていたのが一番心に残っているのと、あとはひたすら謝罪の言葉でした。
当然その後は知るすべもないのですが、何処かで人生を立て直されていれば良いな、と今も思っています。
働いていれば万々歳
その後は失業保険を貰いながら求職活動をし、次の仕事が決まったのは11月でした。正確にはその間に一件あったのですが、合わずに3日で辞めてしまったり、もありました。
ちょうどこの無職期間中にエヴァ破が公開され、時間は有り余っているしギャンブルなどするよりは健全だよね、とひたすら映画館に通いました、同じ映画をリピートするという趣味に開眼したのは、仕事の無かった時期の恩恵であります(笑)。…まぁ、家族の視線は痛かったですが。
そういう経験をしているのもあり、個人的には「働ける場所があるのは、ありがたい」という感覚で今の仕事もやっていますね。
今は「嫌なら辞めて、無理をしなくていい」という柔軟さが尊重される風潮がありますが、それはそれとして仕事があるって恵まれてるんですよとも伝えたいと思います。
大方の人が何かしら仕事をして、自分の生活を作っている基盤にしている訳ですから…フットワークを軽くするのも大事ですが、一方でしっかり地に足を着けて戦ってみる、そんな意識も大事かな~と、仕事を失くした経験から語ってみた、珍しい「仕事の話」でした(笑)。
…ちなみに、その職場はその後地元の会社が同じくパチンコ店としてオープンさせ、現在も営業中です。これが、先の「地元意識」なのかなと思っている所以です。