シンエヴァ記念日、自分の中のエヴァは今…
さて、本日3月8日はシン・エヴァンゲリオン劇場版公開記念日です。
あれからもう3年経ったのか、という感慨深さと「ガチ・エヴァヲタ」だった私からエヴァ成分が随分薄れたものだな~という一抹の寂しさもあったり。
そもそも私がこのnoteを始めたのが、3年前にシンエヴァの感想を書き留めておこうと思ったのがキッカケでした。
今、読み返すと文体が畏まっていて恥ずかしくなります(笑)。noteの要領も解っておらずとにかく思いのままに書きなぐった記事ですね。
これだけ書いて、一年半放置していました。noteの運用についてプランが全くなかった訳ですが3年後毎日書くようになっているとは思いもしませんでした。
円盤からも、一周年
一年前は、2年待ったリリースだと盛り上がっていた時期でしたね。
あとはシンジ生誕祭とエヴァ博、くらいがエヴァ関連記事です。
エヴァ完結前の私ならもっとつらつらとエヴァの事ばかり書いていたと思います。「好きだったアニメ」になってしまったエヴァですが、今日は少しシンエヴァのある部分を取り上げてみたいと思います。
主人公を好きになるヒロイン、をシステム化
序盤、第三村のシーンでアスカが
「あんた達綾波シリーズは、第三の少年に好意を持つように設計されてる」とアヤナミに言います。
なんとなく流してしまいがちなところですが、これは結構意味の深い設定だと思っています。
エヴァは旧作の頃から「アニメファンは現実に帰れ」というシビアなメッセージを孕んだ作品です。某雑誌のインタビューで庵野監督は「綾波レイも広末涼子も、オタクの中での距離感は同じ」と述べていた事もあります。
つまりエヴァは、作品のそこかしこに現実のメタファーが散りばめられている、と捉えています。その観点から上のアスカの台詞を読むと、大体
「アニメの女性キャラ…ヒロインは主人公の事を好きになる。それは最初から仕組まれている」
と皮肉っているように聞こえてきます。
それ即ち、アニメにおける恋愛感情はチープでリアリティに欠けるものだと言っているかのようです。
私は90年代に旧エヴァにハマった理由がアスカであり、シンジとのカップリングに萌えていたんですね。この二人が結ばれて幸せになることを望んでいて、それが本編で果たされずじまいだった事から二次創作を盛んに漁っていた時期があります。その思いは新劇場版に受け継がれましたが、序から14年の時を経てようやく終着点に辿り着いた、その時にはもう、
「とにかく無事に終わってくれれば、それでいい」
という気持ちに変わっていました。
そこにアスカが「私達の惚れた腫れたは所詮システム」と言い放ってくれたことで、かつての渇望が溶けていった…それもシンエヴァの思い出ですね。
「思い出」と「おまじない」
劇場で33回、個人的最高記録となったこの映画、今後越える作品はおそらく出てきません。出て来なくていいと思っています(笑)。
鈴原ヒカリ…元・委員長が何度となく「おまじない」というワードを出すように、この作品自体人生の一部となってしまった人が大勢いて、その人達のこれからの人生が良きものになるように…という思いが込められているのがこのシンエヴァだと考えています。
毎年3月8日になるとエヴァを思い出す…そういう形で自分の中に残り続けるのかな、と思いながらこの時の「待ちに待った作品にワクワクする気持ち」をいつまでもリフレインしていたいなという気持ちです。
身体が歳を取っていくのは止められませんが、心は自分次第でいつまでも若くいられる、と信じていますからその瑞々しさを保つために、記憶の片隅に十代の頃から夢中だったこのエヴァンゲリオンを、ずっと置いておきたいと思いますね。