所有が上手くできない。
僕は、上手く所有することができない。
所有とは、どんな状態を言うのだろう。
たとえば、車を買ったとする。
買ってから、車を乗り回す。
これが、車を所有するということなのだろうか。
そしていつか、車が壊れるときが来る。
乗れなくなるときが来る。
それでも、車を所有していることに違いは無いはずだ。
所有することで得られるものは、何か。
それは、便利さか。
はたまた、優越感か。
それは所有することでしか得られないモノなのか。
それが時々分からなくなって、つい僕は下手に所有してしまう。
やがてそれを要らないと感じたときには、僕は下手くそな所有のせいで、ひどく落ち込んでしまう。
次はもっと、上手く所有したいと願う。
上手く所有するということ。
それは、「できるだけ所有しないということ」に近いかもしれない。
所有することで、僕自身が根本的に変わることはない。
所有しないことで、僕自身が改悪されることもない。
僕は、どこまでいっても僕でしかない。
むやみに所有することは避けよう。
代わりに、誰かに何かを与えたい。
与える行為で、僕をカタチ作ろう。
そうして僕を、僕たらしめよう。
手に入れることではなく、与えることで、存在意義を見出す。
これを僕の、所有の流儀としよう。
(4月、不用品で溢れた自室にて)
いいなと思ったら応援しよう!
あなたのサポートが僕の養分です。より良い作品を書く糧にさせて頂きます。