愛とは何か
深夜にこうしてやりきれなく、キーボードを叩き打つのはいつぶりなのだろうか…。
こんばんは、岡崎モユルです。
その昔、某サイトでこの名前で書き殴っていた時期も長く、毎日1000文字という謎の縛りを自分でやっていた事もあったと、妙に懐かしく思うが、そのような時間も気持ちも余裕がなくなり、何時しかしなくなったのはきっと自分の言い訳なのだろうと思う。
それより本題に移ろう。
くさい話なのだが、私の生きざまの中で、よく愛にについて題目を上げて話する事がある。
要は、物事、出来事、行動に愛があり、それが他者にどうもたらしているのかという事。
まあ、この時代ではどうでもいい話であり、語るに足りぬ話なのは重きに受け止めているのであるが、この期に、というよりもこの歳になってもそこを大切にしているから正直痛い目にあっているのだと今日友人から語られてはっと息を呑んだ。
友人曰く、
「君は昔、そんなに人の事を考えていなかったはずなのに、今何故君はそんなに自分に嘘をつき続けているのか?」
私の幼い時を知っている友人から出たその言葉。
私はこれまで関わってきた方々に勉強させていただき今があり、こうして自分自身の生活をできるほど稼げるようになった。
彼が知っている過去の私は、流浪の時代で泥をススル生活をしていた。しかし、彼はそんな私が本来の姿であり、今の私は愛を忘れたただの道化だとまで言った。
要は、自分にさえ偽り、生活の為に生きているただのブリキだと。。。
こういい放たれた後、過去の私なら多分憤り宛ら彼を殴り倒していたのかもしれない。しかしながら、今の私には、
「うん、そうかもしれないね、心配させてしまってたなら、ごめんね…。」
こう言うしかなかった。
もうすぐ40歳だ。
友人なんて平均中学生の子供を抱えて苦楽ある生活をこしらえているのだ。
そんな青臭い言葉なんて未だ胸に突き刺さるはずなどないだろう…。
しかし、しかしながら、ポケットの奥底に忍ばせたくしゃくしゃになった青春を見返してほくそ笑んでいるときもあるのは否めない。
久々に会った友人に現実を突きつけられ、少しながら途方に暮れている。
そんな書き殴り。