古今叙事大和本紀 第三章 服部一族の秘密 2
静まる森の影に潜むように服部一族の集落は小さく存在していた。
村に充満している何とも比喩できない薫りは、多分ここで機を織る為の染粉の薫りだと岳は思った。
嗅ぎ慣れない匂いではあるが、どこか懐かしく思えるのは、田舎に住まう民達の息吹を肌で感じているからだと直観すると同時に、思わず涙が零れ落ちそうになった。
「ここが服部ね、意外としょぼい集落じゃないの…。」
何を期待していたのかは分からないが、天鈿女はどこかつまらなさそうに呟くと、それを窘めるように吉備津彦が言った。
「こういう花鳥風月を感じながらでなければいい芸術はできないのではあるまいか?」
「何さ、吉備津彦。分かったような言葉並べちゃって…。まあ、いいわ。私はもっと煌びやかな方があってるのっ!ちゃっちゃと用事済ませてこの村から離れましょ、何かくすぶっちゃいそうだわ…。」
ぶつくさと言葉を零す天鈿女。
その後ろで岳津彦は時折見せるこの土地の精霊へ挨拶を交わしながら路を進ませた。
どうやらこの集落は、稲作等の作物は盛んではないらしい。
村の外れから今に至るまで、周辺を見渡していたが目立った田畑はなく、寧ろ全くないと言っても過言ではない。ちらほらと瓜が成っているのを見受けたのは多分自然に成っているのだなと岳は再認識した。
その代わりと言ってはなんだが、天高く聳える煙突が誇らしく、相殺色が殺伐と感じさせる真四角の同じような建物が、規律よく所狭しに立ち並んでいた。
もしかすると自宅兼用なのかと思う程、民家らしき家は見当たらなく、これが職人集落の実態なのかと、またまた生まれて初めての実感に、岳は全身粟を這わせて感動していた。
その建物の間を這うように歩いていると、円形に広がる大きな広場に差し当った。
こんな昼下がりにも関わらず、人っ子一人おらず、というよりも、この集落全体が恐ろしく思える程の静寂に包まれていた。
その広場の中心付近に立ち、周りを見渡していると、放射線状に規律よく路が先を指している事から、もしかするとこの集落事態が円形で広がっていると考えられる。上空から確認する術など確実になく、その実態を明らかにする事はまさしく皆無であるのだが、もしそれがそうだとしたならば『なんとまあ美しきかな』と岳はうっとりと視線を遠くへ促した。
「こんな所いても仕方がないわ…。早く長を探しましょうよっ!!」
相変わらず不機嫌な天鈿女が発する声に、素敵な妄想は切り裂かれて岳は我に返った。
長の宅を探そうとしても、人っ子一人いなくては聞く事もできない。多分この女神はその場に立ち止まっているのが嫌なだけなのだろう。
「闇雲にでも探さなきゃ、いつまで起っても見つからないじゃないっ!」「し、しかしそれでは…。」と、怒鳴り散らしては吉備津彦を困らせている。
もう一度冷静な眼で見渡してみた。この広場から放射線状に八つの路先に展開させていて、それらを進むと、この集落のどこかへは確実に辿り着く訳なのでる。
街が円形で構成されていると仮定して、先ほど抜け出た村の外れから、この広場まで辿り着くまで、そう刻が掛かったとは思えない。
という事は、例えこの八の路を全て網羅したとしても、半日も掛からない事は、十分想像できる。もし、仮にこの場所で誰かが訪れるまで待っていたとしても、多分何も起こらないまま刻だけが過ぎていくだろう。
そう思えてならない程、この村には人の気配が感じられないのだ。
「吉備津彦よ、私も動いて探した方が賢明だと思う。」
「流石は岳津彦っ!!!この堅物より話は早いわっ!!そうと決まると早く行きましょっ!!」
岳の言葉に、天鈿女は両手を胸の前へ組み、天真爛漫な笑顔を浮かべた。
そして、岳の腕へと嬉しそうに腕を組ませて足を進ませようとした矢先、吉備津彦から、まるで全身を振るい上げさせる雷のような鋭い怒号が二人に轟き落ちた。
「だから待たれよと言っておるではないかっ!!!」
こんな表情など道中見せた事はなかった。
それほどまで険しい表情を浮かばせている吉備津彦から、先とは打って変わり、冷静沈着に言葉を発した。
「岳津彦よ、汝には感じぬか?この静寂に沈む中に潜む殺気と、我々の様子を窺っている痛いほどの視線の渦を…。」
確かに妙な静けさだとは思っていたのだが、そこまで殺伐とした何かは正直感じなかった。
しかしながら、吉備の民として、漢として、そして武人としてでも圧倒的な先輩に値するこの者が何かを感じ取り、躊躇しているという事は確かなのである。岳も胸に手を当てて、見るのではなく感じ取ろうと気持ちを集中させようとした次の瞬間…。
「もう、何そんな仰々しい事言ってんのよっ!!!吉備津彦…?そんなんだからいつまで経っても嫁の貰い手がないのよ。石橋を叩きすぎて割っちゃうタイプねっ!!あー、やだやだ。岳ぇ、この筋肉太郎ほっといて先を進みましょうっ!」
「えっ?えええっ?ちょっっっ!!?吉備津…うおわっっ!!!」
天鈿女に腕を強引に引っ張られていく岳津彦の姿を、睨むような視線で確認すると、溜息を一つだけ漏らし、仕方がないと言うようについてくる吉備津彦。
その手は既に剣の柄を力強く握りしめていた。
服部一族の秘密 2 おしまい 3に続く