夏の日の1987 僕たちのB-BOY物語【前編】
幼き日の我が心を育んでくれた
〜㈱バンダイ〜
〜駄菓子屋ババヤ〜
東京下町・駒形の2つのBにこのコラムを。
そして最大限の感謝、リスペクトを捧ぐ
本編スタートです!
ねえ、いいじゃん!
名人いるでしょ〜?
橋本名人に会わせてよ~
時はバブルの風が狂乱麗舞していた1987年。
夏休みも残りわずかな、ある日の午後のこと。
バンダイ(旧)本社ビル1Fにある、受付フロアに甲高い3人の少年の声が鳴り響く・・
橋本名人 とは?
東京下町台東区。
僕の地元でもある駒形に本社を構える㈱バンダイで活躍した後、自身でコブラチームを立ち上げゲーム経営者としても敏腕を振るう。
同社がFFシリーズ・ドラクエシリーズでおなじみの㈱スクウェア・エニックス・ホールディングスの傘下になった後、専務・理事を歴任。
2022年より
ソニーミュージックでシニアアドバイザー兼㈱フォーワードワークスの取締役会長を務められている伝説のゲームクリエイター・橋本真司氏の事です。
㈱コナミデジタルエンタテインメントの毛利名人
旧・ハドソン(現・コナミ)の高橋名人
僕の地元である台東区・駒形に本社を構える㈱バンダイの橋本名人。
この3人の名人は、テレビやCMのみならず、自身が主役のゲームやマンガが発売されるなど、スター級の人気を博し、ファミコン黄金時代(1985年~)に少年時代を送った僕らにとっては、まさに神の様な存在でした。
メガネをかけ、知的でユーモラス、なおかつ近所のお兄さん的な優しさを併せ持つ、いわば『モテ系メガネ男子』の走りでもあった橋本名人。
当時、地元の小学3年生だった僕と友達2人が、メディアに引っ張りだこで社内にいるかもわからない橋本名人に会いに、もちろん、ノーアポにてバンダイ本社に乗り込んだ奇跡の‥いや、傍迷惑なノンフィクション・ストーリー(笑)。
では皆様。
同世代の方には記憶を呼び起こしてもらう意味で。
御存じない方には知らなきゃハドソン!と言う事で。
名人自ら監修+主人公(ハシモトザウルス)を務めた「ポケットザウルス 王剣の謎」のCMを【ミケ猫トマト】さんがYOUTUBEにアップしてくれているのでご覧ください。
(「ポケットザウルス」のCM。橋本名人の魅力が詰まった秀作)
話を1987年に戻します。
冒頭の言葉を皮切りに、益々勢いを増す少年達の16ビットなお願い・・・・
一悶着の後、戸惑いながらも子供達の向こう見ずなド根性、いや、認めないであろう、若さゆえの過ちとやらに根負けし、
「わかった、わかった。わかったわよ〜‥
橋本名人、社内にいらっしゃるか?確認して見るから‥」と渋々承諾。
以後は当初の戸惑い+ソフトな拒絶が嘘の様に、100%こちらの味方になって、各部署に掛け合ってくれた受付のお姉さん。
数分後。
「良かったわね~、ボク達。
名人は○フロアー(うる覚え)で待ってるって。
一緒に遊ぼうって言ってくれてるわよ!!」
と、小躍り+少々興奮気味に話してくれたお姉さんの姿、僕は今でも明確に覚えています。
「あきらめたら試合終了だよ・・・」
僕らに安西先生より早くそのことを教えてくれたのは、今では孫がいてもおかしくないであろうお年頃のおばあさ・・ゴホゴホ、お姉さんでした。
この場を借りて改めて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました!
エレベーターが開いた踊り場で、「やあ!」と笑顔で手を挙げ、我々を出迎えてくれたメガネ姿の名人。
あの感動、そして興奮は生涯忘れない・・・・
まるでスーパーマリオがスターを取って無敵状態になっているがごとく、キラキラと点滅しながら光り輝いている様でした。
後半へ続く