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夏の日の1987        僕たちのB-BOY物語【後編】

前編から続く


そしてその後に訪れた、名人が一緒に遊んでくれた身震いする様な小1時間。 

しかし、矛盾するようだが、何の話をしたか、何のゲームをやったか、そのPrecious Memoriesについて、細かい内容は殆ど覚えていません‥

ごっそり記憶から消えてしまっているのです。

それは友人2人にしても同じ事だったようで、文字通り【夢】のような奇跡体験アンビリーバボーな時間でしたので、仕方ないっちゃ仕方がない(笑)


覚えているのは、テレビで見る名人と全く同じで、優しく、面白く、終始笑顔で接してくれていたということ。

お土産もたくさん貰いましたが、(ここにいない)友達にも分けなきゃ行けない気がして、学校で分配したんですよ。

しかも、何貰ったか??記憶Lost Boy。

もったいなさすぎる〜

それにしても。

時代が時代だったとは言え、名人含めたバンダイのおおらかで優しき対応(毎週土曜に開催していたポピーもよく覚えています)は特筆に値します。

内容はよく覚えてないながらも、あの経験があったからこそ、全国の駄菓子屋および駄菓子文化をまとめた【全国駄菓子屋探訪】を世に刊行できたのだ思います。

(トゥーヴァージンズ社より【全国駄菓子屋探訪】駄菓子界のバイブル)

と、さりげなく宣伝もぶったところで(笑)

いくら隣近所の垣根が薄かった当時の下町在住のじゃりん子達とはいえ、何の理由も無しにバンダイ本社に突撃した訳ではないのです。

発端は馴染みの駄菓子屋「駒形・ババヤ」での会話。

アーケード版「戦場の狼」で、4面位から出てくるマシンガンをぶっぱなす狙撃兵的ソルジャーに歯が立たな過ぎて、半ば投げ遣り的に誰かが放った「橋本名人なら超せる(クリアできるの意)んじゃない?聞きに行こうぜ、バンダイに!」と言うオメガドライブな願望。

まあ、どちらにしても、㈱カプコンの「戦場の狼」攻略法を、バンダイの名人に聞きに行くと言うスカイラブハリケーン級の無茶苦茶なお願いだったのですよ(笑)

バンダイの皆様、感謝の言葉と同じくらい大人になった今言いたいです。

あの時は本当にスイマセンでした・・・と。

さらに笑えることに。

名人にあった瞬間、僕らは全身全霊をかけたその使命(4面に出てくるマシンガン野郎の攻略法を名人に聞く事)を100%忘れてしまった事、言及の必要ございましょうや(笑)

(【石ちゃん@Bank】様より。ババヤには2台のゲーム(20円・50円)があった。)

「あ~はいはい。良かったね、会えて(笑)。味くらべ、30円。」

バンダイを後にし、我が巣のババヤに戻り、「名人に会ってきた!遊んでくれたんだよ名人が!!!」と、厚顔な少年達が興奮冷めやらず紅顔しながら話す自分本位の話(激流)を、優しくあくまで自然に受け流すおばちゃん(静流)。

「こ・・・この動きは!!

ト・・・トキ!!」

当時はそんな事思いもしなんだが、おばちゃん・・。

子供達の自分勝手な豪の話を、柔の受け答えで流しながら、素敵な空間を創ってくれていたんですね・・・

「挨拶。ありがとう。ごめんね。この3つが出来れば大丈夫。学がなくても、社会に出ても大丈夫」

僕の座右の銘は、歴史上の偉人の言ではなく、いつもおばちゃんが言っていた言葉なんだよ。


社会に出て改めて気付かされた、この3つが出来れば本当に大丈夫だって事。

そして、いい大人なのに、この3つが出来ない人が多すぎるって事も・・・

(ヒップホップ大好きだった頃のあこがれの人【歌丸】さんとも共演)
(次長課長さん、長州力さんと共演)

予定さえ合えば、僕もメディアに出来るだけ出るようにしているよ。おばちゃん。
それも恩返しだと思って

夏の日の1987・・・

あの頃の僕とは、まるで別人のプロポーションになってしまいましたが、ババヤとバンダイ、2つのBから学んだB-BOYイムズを軸に、これからも進んでいこうと思っております。

橋本名人、受付のお姉さん、バンダイの社員一同、ババヤのおばちゃん。

不惑をいくつも過ぎ、腹もデップリと肥えてきた、かつての紅顔の少年は令和の御代、『駄菓子屋文化を日本遺産に』登録する為に、先人なき道を走り続けています。

途方もない夢の様な話だと多くの人が言っていますが、そんなのやってみなきゃわからないですよね(笑)

もし挫けそうになっても、かつての皆様から受けた温もりを思い出し、再び立ち上がる事を約束し、筆を置こうと思います。

あきらめたら、そこで試合終了なのだから‥

~エピローグ~

『会社(バンダイ)にいたら、近所の子供達が突然訪ねてきた事があって、一緒に遊びました(笑)。

僕も楽しくて、息抜きにもなったし、新しいアイデアってそういう時に生まれるんですよ』

橋本名人がなにかの対談(雑誌orテレビ)で語っていたと友人が教えてくれた事を思い出します。

彼は、「あれ、チキ(僕のあだ名)達の事じゃないかな?」とも言っておりました。

子供達との触れ合いを大切にされていた名人のこと。

他にも似たような経験をした子供達もいたと思いますし、僕らのことだったか?

それはわかりません。

しかし

橋本名人が僕達に残してくれたもの。

それは「ポケットザウルス」が如く時空を超えて、令和の今、おっさんになったかつての駒形の子供達の胸の中に、脈々と、そして確実に受け継がれているのです。

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