学び舎遊び場【駄菓子屋 尋常小学校 石巻分校】〜遊び場をなくした子供達との約束〜
宮城県石巻市
レペゼン三陸リアス式!
共に栄養素グンバツ、奥羽山脈+北上川がもたらす森のミネラル分と黒潮(暖流)×親潮(寒流)が織り成す潮目が夢のコラボ。
ノルウェー沖🇳🇴・ニューファンドランド島沖🇨🇦と並び、世界三大漁場に数えられる奇跡の漁場【三陸金華山沖漁場】
金華の名を冠したサバ・カツオ・ぎん(鮭)を筆頭に、ホタテ・アワビ・ホヤなど200種類以上の魚介類が水揚げされるいぎなしすげぇ(とてもすごい)石巻港の最初の開拓者は、奥州の覇者にして戦国一の洒落者・伊達政宗公なり。
現地で食べる新鮮な海の幸、とんでもなくうめがす!です、政宗公。
北上川の川岸に浮かぶ小島の【巻石】から説
昔の湊【伊寺水門(いしのみなと)】から説
鮭がよく獲れるという意味のアイヌ語「イソ・マシュキニ」より転訛説まで、諸説ある地名の由来も、北上川の恵みを中心に栄えてきた長き歴史あってのこと。
猫アイランド【田代島】
東北のハワイ【網地島】
奥州三大霊場【金華山】
漫画界の巨匠・石ノ森章太郎先生の青春の地である縁から、石巻駅前に広がる【石巻マンガロード】や、中瀬に位置する【石巻漫画館】など、陸に海に見どころも満点。
東日本大震災で受けた甚大なる被害を、両隣の女川町・東松島町と共に官民一体で乗り越えんとする牡鹿半島スピリットで、日本中に逆に元気を与え続ける、仙台市に次ぐ県下NO2の人口約13万4千人。
今までもこれからも、市の象徴にして命の山【日和山】と共に在り続ける街。
未曾有の大震災より12年の時が流れた2023年の4月。
とある小学校の分校が、ここ石巻の地で創立10周年を迎えました。㊗おめでとうございます㊗
しかし小学校と言っても、市立、町立、村立と言った公立の学校ではありません。
私立、いや志の元に創られた『志立』と言ったほうが適切でしょう。
みんなの学び舎遊び場【駄菓子屋 尋常小学校石巻分校】!
そう、駄菓子屋なのです!!
今回は、その学び舎兼遊び場の店長で、そして各SNSでは『用務員のナオトマン』として御活躍中の杉浦直人さんとZOOMにて対談させて頂きました。
笑いあり、笑いあり、笑いありの対談でしたが(笑)、ホロッと感動もさせて頂くこともとても多く、本当に勉強になる対談でした。
では、石巻の尋常小学校、いざ開校!!
⬇
「遊び場だけど、学び舎の様な。
尋常ではない楽しい場所にしたい!という思いが先ず第一でした。
そして。
昔、公立学校として尋常小学校があった頃(明治〜昭和初期)の様な、子供達と密で近しい・親しい関係性のある店にしたい!という気持ちが続き、この名前をつけました(笑)」
なんとも珍しい【尋常小学校】という店名の由来を快活に話してくれた杉浦さん。
実は、生まれも育ちも東京でございます。
義理人情に包まれ、かつては駄菓子屋がグンバツに多かった、寅さんでおなじみ下町・葛飾のご出身。
柴又帝釈天でラジオ体操をしていた(実話)、リアル下町っ子の杉浦さんは、子供の頃から駄菓子屋文化にどっぷり漬かっていて、
「いつかは駄菓子屋を自分の手で開きたい。だから仕事を頑張って開店資金貯めるぞ〜」と、20歳を過ぎた頃から思っていたのだとか。
その思いを実らせ、2013年4月に【駄菓子屋 尋常小学校石巻分校】を開校させました!
ナイスガイやな〜。
それにしても、なぜ地元の東京下町ではなく、遠く離れた石巻だったのでしょうか??
石巻分校って事は、本校もあるの??
名前の由来は前述の通りですが。
みなさんも【駄菓子屋 尋常小学校石巻分校】について、ツッコミどころ‥もとい、興味が尽きぬ事と思います。
まずは視覚的にイメージを感じて頂きたいので、下記You Tubeチャンネルをご覧くださいませ。
未曾有の大災害・東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市‥
少しずつ町も復興を始め、人々も新しい生活に向け歩み始めた頃。
当地で支援活動をしていた杉浦さんは、ある子が寂しそうに言っていた言葉に胸を打たれます。
『遊ぶ場所が全部無くなっちゃった‥』と。
先ずハード面(インフラなど)の復興が大優先。
そして、その後は子供達のソフト面(心)に寄り添っていく様な、支援ではなく継続的な繋がりが大事なんだ!と杉浦さんは確信。
『よし、みんなの遊び場所を創ろう!』
石巻の子供達と交わした約束と昔からの夢が重なり、杉浦さんは正義のヒーロー【用務員のナオトマン】に変身し、【駄菓子屋 尋常小学校石巻分校】でボクと握手!し続けているのである!
石ノ森先生。
石巻の地に新ライダーが爆誕しましたYO
因みに。
分校について尋ねると「本校は僕の地元・葛飾校という設定です。実際はまだないんですけどね。」と爽やかに白状(笑)
さらに。
校長先生は亡きおばあちゃんである【文子】先生。
もちろん設定です。
「戦前〜戦中は満州で和菓子屋を経営されており、引き上げ後は亡くなるまで『あ〜駄菓子屋やりたい‥』と言っていた事をリスペクトして登場してもらいました(笑)
尋常小学校の卒業証書にも【文子】の名が押印されてます!」と。
やっぱりナイスガイやな〜(本日2度目)
東京葛飾⇔東北石巻。
2拠点生活の為に、基本(不定期開校)になる尋常小学校。
地元の教職員(スタッフ)とも協力して開催する、行事関係(イベント)はスーパー盛り上がること必至なので、いくつか説明させて頂きます。
①お化け屋敷
〜五感でフルに体感せよ〜
以下ナオトマン解説文参考
〜線香の香りを充満させ、1階はキンキンに冷やし2階は40度近い灼熱、行ったり来たりで実際の汗と冷や汗と寒さで感覚が研ぎ澄まされたときに面白い写真と実際のお化けを交互に繰り出し感情をごちゃまぜにします(笑)〜
〜怖さは3つ選べて。
幼児コースはナオトマンと楽しいおしゃべりをしながら明るい部屋を歩き、トラウマコースは一人っきりで暗闇を歩きます(笑)〜
これは本気で怖い。
幼児コースなければ、小さい子はトラウマになるで〜、本気で(笑)
②世界一小さな美術展
〜本物の絵と触れる機会を子供達に〜
以下ナオトマン解説文参考
〜竹久夢二さんをはじめすべて本物で、水木しげるさんの河童の絵は実際に水木さんのお別れ会祭壇に飾られたもので、水木さんのミュージアム行ったとき年表の最後の写真にこれが出てた時泣きました。
これを開くにあたって水木さんのご家族に石巻の駄菓子屋に飾りたい旨のお話をしたところ、「父も喜ぶと思うわ」と言っていただいたすっごいものなんですが、そのことを熱弁する自分とポカーンとする子供というシュールな空間がずっと続きました(笑)
次回の美術展は『駄菓子屋台紙のデザイン展』を準備中です〜
これは、絵に興味ない(であろう)子供達の反応をナオトマン自身が見てみたかったと言う願望が具現化し開催された展覧会だったようで‥(笑)
しかし反応はパーペキで大成功!
子供達にとって、自分達と同じ目線でイベントを創り、一緒に楽しんでくれる大人達が近くにいるという事の大切さは計り知れません。
「日々の開校日も、イベント時も、ワイワイガヤガヤ、子供も大人もみんなで楽しくやってます。
子供達の笑顔を見てると、逆にこちらがパワーをもらっちゃってる感じで(笑)。
2拠点生活で石巻に行けない時もありますが、仲間達がうまくカバーしてくれてます‥
石巻の皆さんには感謝しかないですね。」とナオトマン。
その思いは、石巻の方々もナオトマンに対して感じているはずですよ、きっと。
そうそう。
もう一つユニークなものを御紹介します。
学校の校章です。
石巻の地名の由来の一つ【巻石】+平和の象徴である【鳩】がデザインされている、これがもの凄くカッコイイ!
どうです?
めちゃくちゃカッコいいでしょう!!
それもそのはず。
デザインは宮城が生んだ鬼才・大蛇堂(一條おろちさん)が手掛けられたとの事。
「15年くらい昔、同じ職場いた縁でお願いしたんですよ(笑)」
水木先生・竹久夢二氏の絵画と言い、おろちさんとのフレンドリーパークさといい、ナオトマン、兄さん一体何者なんや~(笑)
それにしても、石巻を中心に広く宮城県民の力を借り、楽しく学校運営をしていく地産地消スタイルに、改めて駄菓子屋の素晴らしさと可能性を感じざるを得ません。
天国在住の安倍(あんばい)さん。
10周年を迎えた【駄菓子屋 尋常小学校石巻分校】の姿、見えてますか〜?
「人生の大先輩であり、戦友でもあり、いっしょに駄菓子屋を盛り上げてきてくれた女性。
今は天国在住、名前を安倍(あんばい)さんと言います。
子供達とも仲良しで、いつもニコニコしてて‥
彼女は、(癌で)亡くなる少し前まで店に来てくれてました。
『本当にみんなに会えて楽しかった。ありがとうございます』と笑顔で言ってくださいました。
天国在住スタッフ安倍さんとも一緒に、これからも尋常小学校は楽しい場所で在り続けたいと思います。」
笑いあり×3と前述しましたが、ナオトマンとの対談のラストあたりは感動の嵐だったこと、正直に白状します(笑)
下町・葛飾⇔港町・石巻。
両者を結ぶ、尋常じゃなく楽しく、とてもあったかい学び舎兼遊び場【駄菓子屋 尋常小学校石巻分校】。
この笑顔の輪が拡がり、宮城県内にたくさんの分校が設立されていく事を、心よりご期待しております!
学び舎遊び場【駄菓子屋 尋常小学校石巻分校】アクセス
宮城県石巻市錦町3-37
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