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技術と芸術を切り離して考えちゃいけない気がする

音楽で言えば作曲家と演奏家。ITなら上流のコンセプトや設計をする人とコーダー。建築や、他のものづくりでも大体同じような流れがある気がしますが、
手を動かすことと、想像すること、手を動かす人と想像する人の分業が進み、住み分けがされ、違う能力であるとされ、なんなら仕事としての優劣までつけられるようになっていることは、果たして正しいんだろうか。みたいなことを考えています。

経験上、手を動かすことを通してしか生まれない、深まらない想像力ってあるもの。

アートの語源には、技術という意味もあったというし、20世紀前半のアールデコなんかは、機能を持った製品としての品質に関わる技術の価値と芸術的な価値が分離される前の最後の抵抗みたいに思っています。

技術も芸術性も、自分に十分に備わっているかというとまだまだだけど、それを分割して考えない立場でいたほうが正しいんじゃないかなあというのが今の自分のスタンスです。

具体的な自分の作品の話に落とし込むと、いきなりしょぼい感じになるのですが、今取り組んでいるのはベースラインを大事にする奏法。
7弦ギターを変則チューニングにして、ベースの音域とギターの伴奏の領域を同時に演奏する、というのがここ一年半くらいのやり方で、私の発表している楽曲もほぼその手法でやっているのですが、どうしてももともとギタリストなのでギターのコードに意識が引っ張られてしまう。結果、ベースはルートをボーンと白玉で鳴らしたり、ルートでちょっと刻むくらいの感じになってしまっていました。

それはそれでいいんだけれど、ベースラインをまず大事にして、そこにウワモノを乗っけるような弾き方ができないかと、指弾きの親指の使い方や、ベース音にコードの根音以外がくるボイシングなんかの把握に努めているのが最近のメインの練習テーマ。

これが、すごく純粋に技術的なことのようで、実は音楽性そのものに広がりを生みそうな予感がしています。まだ習得度としては「予感がしています」としかいえないレベルなんですけどね。

曲のアレンジに与える質感が、ちょっと考え方を変えて演奏するだけでだいぶ違うし、音楽の聴き方も変わってきたし、音楽の捉え方が広がった感じがします。

少なくとも私にとっては「実際に手を動かしてそれに取り組む」ことでしか広がらなかったであろう領域に想像力が広がった感じがするのです。

チャーリー・ハンターほどのグルーヴマスターになるには人生一回では足りないかもですが、自分なりに追求していくつもりです。

思えば自分の好きなギタリスト、ジョー・ディオリオやパット・マルティーノ、アラン・ホールズワース、スティーヴ・ヴァイなんかも、技術と芸術性を切り離しては考えられませんからね。
ジョージ・ベンソンが「自分のテクニックは完璧だ。なぜなら、自分が頭に浮かぶフレーズは全部弾けるから」みたいなことをどこかで言っていたらしいですが(曖昧)、その境地に達したいものだなと。

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