ユジャ・ワン&テディ・エイブラムスwithルイヴィル・オーケストラ『The American Project』
ユジャ・ワンが、カーティス音楽院時代の同級生でもある気鋭の指揮者/作曲家(そしてたぶん、現役指揮者としてもっともいかしたクラリネット吹きでもある)テディ・エイブラムス、そして彼が音楽監督を務めるルイヴィル・オーケストラと、がっちりタッグを組んだニュー・アルバム。
この作品はマイケル・ティルソン・トーマスによる、ユジャに贈られた小品から始まる。MTTとユジャとの名コンビぶりは今さら言うに及ばずだが、エイブラムスもサンフランシスコの神童だった10歳そこそこの頃からMTTの薫陶を受けている。そんな若きいちばん弟子コンビが、敬愛する師に捧げるアルバム。メインとなるのは、エイブラムス作曲の組曲『ピアノ・コンチェルト』。ジャズやゴスペル、ラテンといった要素を散りばめつつ、合間にはそれらの音楽からの光を微かに反映しながらユジャがユジャならではの、彼女にしか弾けないカデンツァをぶちかます。ものすごく面白い、興味深い作品だ。たぶん、ユジャ・ワンがジャズを“弾けていない“という批評が出るのだろう。実際、もう米国の記事ではそういうのがあった。最強ヴィルトゥオーゾのユジャだが、実際、スウィングするのはあんまり得意じゃない。でも、たぶん、エイブラムスはそのことも大前提としてわかった上で書いている。中国から北米へとやってきて大きく花開いた天才ピアニストのユジャが、自身をとりまく米国の伝統音楽を、自らが生きる世界に響く音と、そこに響かせる自らの音との融合が生むケミストリーを自分自身のコトバで説明をする…。そんな物語を、若い頃から同級生として彼女を見てきたエイブラムスが“脚本家“のように曲にしてみせたのではないか。
アメリカのクラシック界には、もっと上手にスウィングするピアニストもいるだろう。でも、聴けば聴くほど、これはユジャとテディの師匠ティルソン・トーマスに捧げる個人的な手紙のような作品に思えてならない。あるいは、遅すぎる卒論か。見ようによってはベタでお気楽だと誤解されそうな『アメリカン・プロジェクト』というタイトルにも、明快で揺るぎないメッセージがある。日本では無名に近いくらい、びっくりするほど知られていないテディ・エイブラムスのここまでの歩みを振り返ってみればなおさらに、このタイトルは深いなー、深い、深いぞ、と唸らずにはおられない。冒頭のティルソン・トーマス作品と、エイブラムスの組曲が並んだことでのThe American Projectだ。そこには、楽曲そのものの説明だけではない奥行きがある。パンチ・ブラザーズの“American Acoustic Tour”というネーミングと同じくらい深い。クラシックのアルバムなんだけど、そこには間違いなくシンガー・ソングライターと同じ衝動が見え隠れするような。テディ・エイブラムスという底知れない才能と、それをキャッチして体現するユジャ・ワンの凄さをあらためて思い知る次第。
クラシックのリスナーや評論家が、演奏家や指揮者を批判する時によく「弾けてない」「振れてない」「歌えてない」という表現を使う。わたしにはよくわからない。譜面に書いてあることを演奏できなかったならば話は別だけど。どれだけ博識であろうとも、それは自分の経験則だけに縋って、自分にわかることだけを正解だと言っているようにわたしには聞こえる。たとえば年老いたピアニストが弾く弱々しい旋律の中に、その人生に刻まれてきた凄まじく壮大な物語が見えることもあるのだ。
リリースは独グラモフォンなのでノンサッチ自警団案件ではないのだが、今年の夏にはクリス・シーリーがハリウッド・ボウルでエイブラムス指揮LAフィルにお世話になるし(笑)。また、ユジャについては今さら説明もいらないだろうけれど、この機会にテディ・エイブラムスという才能をぜひともご紹介したく、こんな謎新聞を書いてみました。気分は『ペット・サウンズ』のアンドリュー・オールダムである。あみだくじを辿ってゆけば、シーリーだけでなくブライアン・ウィルソンまでつながってゆく人だよ。できればノンサッチに来てくれないかと心ひそかに思っている。
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