愛に恋
国も企業も、オリンピックといえば無駄遣いでも謎の出費でも何でも許されるという考えをいつになったら改めるのか。と、ずっと思ってきた。五輪のロゴマークさえつけていれば、税金の無駄遣いも、掟破りも、協賛という名目の莫大なカネのやりとりや地上げさえ許される。女性を侮辱しても自民党議員のまま五輪実行委員長をやっても許されると思っていたとは、さすがに驚いた。
と、そうこうするうちに、開会式までもう154日だという。
しかし、まじめな話、本当にこんなんでオリンピックやるのかね。
もう、ここまで来たら今さら引くに引けない状態なのでしょうが。たぶん夏にはコロナは終息する、という根拠の乏しいタラレバだけで主役たる選手たちの人生を請け負ってしまった責任はとってもらわないといけないし。でも、現実的な状況を考えると開催できる気が全然しない。どうしたものかね。奇しくも女性3人がトップとなった今、より良い決断を祈るばかり。
それにしても。結局、こうやって何年もかけて、開催国の経済や政局にじわじわと影響を与えてゆくのがオリンピックに関わる人々にとって最大の醍醐味なのだろうか。と、それだけは国民のひとりとして勉強させていただきました。国が栄えたら勝ち、滅んだら負け。行くも地獄で退くも地獄。巨大なボードゲームのよう。すげえ競技だな、オリンピック。
たとえば。だな。
オリンピック特需のインバウンドを期待して超高級ホテル・チェーンの新業態まで出来ちゃって、オシャレな卓球バーのオープニングセレモニーには五輪候補のスター選手や百合子都知事まで来てエキシビションマッチやったりして、再開発プロジェクトの目玉として、こないだまで昭和のド歓楽街だった駅前をブレードランナー風ネオジャポネスク・イザカヤ・アレイ・スタイルに塗り替えたところでコロナ禍に突入した街がある。たしかに、五輪を見据えた再開発を経て街のイメージはずいぶんアップした。とはいえ、五輪をやるかやらないかで未来が180度変わるんじゃないだろうか。
よく晴れた昼下がり。駅近くの小径は緊急事態宣言を受けて、デイタイム・サービスの呼び込みお兄さんたちの激戦区になっていた(何のサービスかは説明を省きます)。厳密には平和じゃないけど、大まかには平和だ。五輪があろうがなかろうが、オシャレ再開発があろうがなかろうが、街はそこに集う人たちの魂の受け皿として生き続けてゆく。
※写真と本文は少ししか関係ありません。