もしも織田信長が本能寺で殺されなければ
もし織田信長が本能寺の変で死んでいなければ、日本の天下統一を成し遂げていたことは間違いありません。
その過程で仏教勢力を厳しく抑えていた筈なので、キリシタン勢力の大村、三ケ、高山、池田、小西、黒田、大友、蒲生、有馬等の大名達が力を付けていた筈だと考えます。
織田信長は日本統一後は、国内は自分の息子達に任せて、名護屋城を起点に明への侵攻を行ったと考えます。
豊臣秀吉は朝鮮侵攻の際に、侵攻に反対だった小西行長に一番隊を任せてしまったことで、嘘をつかれ失敗してしまいましたが、もし織田信長ならば一番隊を明智光秀に、二番隊を豊臣秀吉に任せたと想定されるのです。
光秀や秀吉の現場での調略力や当時のキリシタン大名達のモチベーションの高さから予想すると、おそらく朝鮮を簡単に鎮圧通過して、一気に明に攻め入ったと考えられます。また当時の明の弱体化した戦力から考えても、明を打ち負かした可能性がかなり高いのです。
そうなると、日本の多くの大名達が明に移住して日本の信長が中国と朝鮮をも支配する体制が出来上がったとしても不思議は無いのです。
織田信長は、北京を占領して明を従わせて、ここに日本の天皇を置いた筈なのです。
日本国内にも新しい天皇を立てて、自分は寧波に隠居していたと考えられます。
寧波は、当時の東アジアの貿易ネットワークの中心地だったので、信長は寧波にいることによって、日本の九州から朝鮮、中国、それから東南アジア、この貿易ネットワークを掌握し東アジアの海洋国家を作り、東アジアの圧倒的なカリスマ支配者となっていたかも知れません。
そうなると世界史も大きく変わって来ており、イエズス会と団結して世界キリスト教帝国が出来上がっていたのかも知れません。
もし日本がアジアを支配し、またキリスト教帝国になっていたならば、私達はもっと幸せになれていたのかと考えると、かなり難しい判断になると考えます。
その後の江戸幕府は無いのですから、もっと西洋的な社会になっていた筈なのです。
日本人らしさが無くなり、今よりも強い西洋文明に飲み込まれて、ついには西洋社会の一部に組み込まれてしまったのかも知れません。
そうなると、西洋社会内での内戦に巻き込まれて、日本や日本人が消滅してしまったのかも知れません。
戦国時代は世界最強の軍事力を持っていたかも知れぬ日本でしたが、流石に世界統一するまでの軍事力や統率力では無かった筈なのです。
島国の日本を統一するのと、アジア大量を統一するのでは難易度が格段に違うでしょうから、世界を相手にして勝ち目は無いと私は考えるのです。
そうなると、明智光秀が本能寺の変で織田信長を葬ってくれたおかげで、今日の日本国の独立と主権が保てていると言えるのかも知れません。