「沖縄と国家」
実際に身をもって体験できないことを、想像することをもって補おうとするのだけれど、なかなか容易ではない。自らの意識を彼の地に飛ばそうと目を閉じる。少ない経験を参照しながら、そこでなにが起きているのか、なにが見えて、どう感じるのかを知るために毛穴をひろげようと試みる。
しかし沖縄の「現実」は、そんなちっぽけな想像力を簡単には受け入れてはくれない。それほどに沖縄の「現実」は切実で逼迫している。目取真俊さんの告発をまえにして、ヤマトゥにいながら平和を語るなんて、どうにもしらじらしい絵空事のように感じてしまう。
この暑いさなか、カヌーを漕ぎ続ける体力、路上に座り込む気力、そして実に長きにわたって、反対を表明し続ける意思、そのひとつひとつが思いもよらないほどに困難だ。よほどの強靭な精神と肉体をもっているとしか思えない。しかして、高江や辺野古で行われている反基地運動の担い手の多くは、高齢のおじいやおばあだったりする。
ぶつかり合う喧騒の中心は、その真剣さが強ければ強いほど熱を帯びる。ひとりひとりの毛穴から怒気の熱が発せられ、暴力のために全身の筋肉が躍動する。
先日、川崎でのヘイトデモカウンターに参加した。その最前線は目がくらむような、ものすごい熱気にむせかえっていた。ぶつけあい、はがしあうなかで、ひとが発する熱量のすごさに驚き、圧倒された。
この熱を発し続けるにはよほどの強靭さが必要だ。「沖縄と国家」には、その強靭さが、これでもかとばかりに詰まっている。聞き手に徹した辺見庸さんが、まさに「ぐうの音もでないね。」と感嘆する、ぬきさしならない沖縄の「現実」が、全身全霊の怒気をもって告発されている。
反基地運動が沖縄で大きなうねりとなって、実際に米軍を追い出すことに成功したら、本土のひとたちは、果たして「よくやった。」と言ってくれるだろうかという問いかけに、冷水をかけられたような気持ちになる。果たして目取真さんの真剣な目を、米軍基地を押し付けられた沖縄のひとたちの切実な顔を、ぼくたちは正視できるだろうか。
中学生だった1975年、返還されて間もない沖縄を旅行した。そのとき見た、なんともいえない不思議な風景の数々は、アンカーのように腹の奥にとどまり、いまでもはっきりと目に浮かぶ。そしてそれらの風景は、折に触れ、ぼく自身を告発してくる、ある意味で最も生々しい「戦後」であった。
沖縄の「戦後」は、そうやすやすと「脱却」できるものではない。大きな資材トラックのまえに立ちはだかり、「通りたけりゃ、あたしを轢いていけ!」と叫ぶ島袋さんの熱量。死を賭してまで熱を発していかないかぎり、平和は守れないと教えられる。それは与えられるものではなく、つかみとっていくもの。そのための熱量が、なにより欠かせない。
「沖縄と国家」は、類まれな熱量に満ちた本であった。