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7月24日 国会前の若者たち

 早めに着こうと桜新町の駅を降りていったのですが、あいにくの人身事故で、電車は止まっていました。蒸し蒸しする駅のホームでは、みなおとなしく、スマホを見ながら、いつ来るともわからない電車を待っていました。
 あてどもないこの異様な静けさに、宮崎台駅で行われている事故処理の生々しい想像が被さって、どこか厳かですらありました。
 なす術なく、しばらく佇んでいると、構内アナウンスが上り線のみの再開を告げました。やってきた電車もそう混雑はしていなくて、なにごともなかったように、ぼくたちを運んで行きました。

 国会議事堂前駅に着いたときには、開始時間の七時半をいくらかまわっていました。このところの国会前抗議集会に参加したことがあるかたはわかっていると思いますが、とにかく国会前に着くのに一苦労するのです。もちろん何万人という大勢のかたが詰めかけるので、それだけでもたいへんなのですが、警察官による警備という名目で行われる誘導が、どうにもひどいのです。ひがめ見るなら、あえて国会前に行かせないように動線を引いているとしか思えないような迂回を強いられます。昨日はそれがいつに増してひどいように思いました。

 いくらか慣れっこになっているせいか、ときに誘導の逆を行ったりして、なんとか、いつもSEALsが陣取っている国会前上手の反対側の信号前までたどり着くことができました。ところが昨日に限って、横断歩道を渡れないように規制しているではありませんか。しかもとってつけたような工事車両や、細長いクレーンをつけたような大型重機まで鎮座しています。たずねると、向こう側にいくには、桜田門まで迂回して行ってもらうしかないとのことで、十分くらいかかる見込みでした。横断歩道を渡れば、十秒で行けるのにです。
 腹は立ちましたが、仕方なしにその場に腰をすえて、向こう側のスピーカーから聞こえてくる共産党の志位さんの演説を聞きました。そのあとに続くコール、そしてまたスピーチ、またコールです。
 こちら側の歩道をいっぱいに埋めているのは、かつての若者たち、ノボリもちらほらと見えるところからも、日比谷の集会から流れてきた、さまざまな平和団体の年配者たちばかりでした。コールに合わせて一生懸命声をだしていますが、ときおり混ざる英語やスペイン語のコールでは、静かになります。しかしその分「戦争反対!」には、ものすごく力がはいっていました。

 ぼくは最前列にいたせいか、すぐ前が警察官ばかりなのです。どちらかというと警官に囲まれたなかにいる感じでした。スピーチに拍手したり、コールしたりしながらも、ぼくはいつになく冷静に、警官たちのこと、表情とか、交わされることばや行動を観察していました。
 そのなかに、まだあどけない顔立ちの、年の頃は二十歳そこそこの警官を、何人も見つけました。自分の子どもくらいの彼らの額と首筋につたわるいく筋かの汗、そしてどこか戸惑うような愛くるしい目に、彼らをいとおしく思う気持ちを禁じ得ませんでした。
 歩道の向こう側で抗議の声をあげているのもまた同じ年頃の若者たちです。警備と規制にあたる彼らは、どう思ってそれを聞いているのだろう。不意にたずねてみたい衝動にかられたりもしました。
 時折ですが、その声やことばのなにかが、少しだけ届いているように映ったのは、ひとりよがりの勘違いだったでしょうか。ぼくもコールしながら、すぐ目の前にいる君たち若い警察官のためにも、こうしてここにやってこなければいけないと、いつのまにかそう思っていました。

 こんな風に思うのは、はじめてのことです。こういう抗議集会においては、警察官はいつも権力の側にいて、ぼくたちを規制し、恫喝し、検挙するものと決めつけていただけに、自分のなかでも戸惑うところがありました。   
 SEALsも警察官も、立場は違えど同じ「若者」なのだと、大きく見ることができたのは、やはりそれなりに自分が歳をとったということなのでしょう。
 集会が終わって、三々五々解散していくなか、ぼくはしばらく歩道の縁石に腰かけて、撤収する警察官たちを見ていました。三角コーンを山のように抱え、バリケードをつなぐロープをはずし、黙々と資材を一箇所に集めていきます。

 熱狂と喧騒と静けさと。ここにやってくるまえは、飛び込み自殺かもしれない人身事故がありました。そのいくつか先の駅のホームは静かでした。いろいろなことが通りひとつを隔てて、ごちゃごちゃに同居し、混在しています。
 「ただのいれもの」にすぎない国会が、欲望と権力によってそびえ立ち、そういったひとびとの営みを、せせら笑いながら見下ろしているのだとしたら、それは取り返しのつかないほどの大きな見当違いだぞと、そんなことを思った夜でした。

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