厚田さんのサイン
映画「キネマの天地」のその日のセットは、かつての小津組の撮影現場を再現したものだった。
たしかひとつのスタジオに病室と日本家屋の居間がならんで建てられていたと記憶している。カラーになる以前の設定で、ライトには赤や黄色のフィルターがかけられ、病室自体は真っ黄色である。
これが白黒のフィルムで撮られると、ねらったようなコントラストがでるので、当時はこうした色合いで撮影されたのだそうだ。
ぼくは、そのころ大部屋役者として大船撮影所に通っていた。仲良くしてくれた助監督さんは、ぼくが大の小津映画ファンだと知って、出番のなかったその日も撮影所によんでくれたのだった。
白黒時代のセットを、すみずみまでながめまわし、感心しながらも、ぼくは「そのひと」がやってくるのを心待ちにしていた。
山田洋次監督をはじめ、松竹のスタッフが、当時の小津組を再現するにあたって、その監修役に選んだのが、厚田雄春さん、いわずとしれた小津組の名キャメラマンであった。
セットの一角が少しざわめき、そのときうしろから、助監督さんが声をかけてくれた。
「厚田さんがいらっしゃったよ。」
その指のむこうには、やや背中の曲がったやさしそうな老人が、皆にむかえられて照れくさそうにしていた。
「どうですか?あの当時の様子はでていますか?」
そう山田監督はたずねていた。
「ああ、はい、こんな感じですよ。とはいえ、もっとフィルターが濃かった
かなぁ。」
和やかな談笑がしばらくあり、厚田さんのお墨付きも得られたということで、撮影準備が開始された。そして現場はいつもの活気と喧噪につつまれだして、たくさんのひとが右往左往するなか、ある瞬間に、厚田さんはぽつりとひとりになった。
すこしおぼつかない足もとを運んで、すぐとなりにある日本家屋のセットをながめだした。それを記念にと思ったのだろうか、インスタントカメラをとりだして、ファインダーに目を通したのである。
厚田さんの目の高さ、いわゆる目高にかまえるが、なかなかシャッターを切らない。なにか判然としないのか、顔をはなしてセットを見やり、もう一度かまえる。
そのとき、厚田さんの背が小さくかがんだ。そうして、どんどん頭をさげていく。ようやく切ったその画角は、だれもが知っているあのローアングルであった。
準備に一段落ついたのか、例の助監督さんが、ぼくを厚田さんのところまで連れていって紹介してくれた。なにを話したのか、近くでみたお顔はどうだったのか、不思議なことに、ほとんど何も覚えていない。
ただ今でも、本棚におさまった「監督小津安二郎」という本の裏表紙には、そのときいただいた「厚田雄春」のサインがあるので、あれは夢ではなかったのだと思う。いいかえればそのサインがなければ幻だったのかもしれないと感じる、しっかりとしながらも、うっすらとした体験であった。