nearness of you
その日、友人とともにブルーノートの席についたとき、ぼくはいつも以上に心を躍らせていた。テーブルごとにプレートがあって、ひとつひとつにミュージシャンの名前が刻印されている。
「今日はマッコイ・タイナーの席だね。」
そんないつもながらの会話にも高揚感は隠せなかった。
マイケル・ブレッカーを聴きにいくというのは、自分のなかでどこか特別なところがあった。もちろんマイケルが兄のランディとともに一世を風靡したバンド「ブレッカー・ブラザース」は、学生時代のシンボリックなヒーローだった。
なんといっても「ブレッカー・ブラザース」には、ジャズという音楽を横目でみながらも、なかなかその敷居をまたぐことができないでいた意固地なロック少年たちを、たちまち魅了し、引き込むだけのパワーとリズムとフレーズにあふれていた。
そう、ありていにいえばものすごく「かっこよかった」。そしてその「かっこよさ」に熱狂し、またそれが入口になってジャズという音楽へはいっていけたのである。
ただ熱狂というのは、そういつまでもつづくものではない。大方のひとと同様、ぼくも仕事をするようになったり、結婚したり、こどもができたりという生活のなかで、そんな熱狂からはなれ、楽器にも触れない、音楽すら聴かない時期を長く送っていた。
三十代の後半に、昔からの友人と話していて、音楽のことでいろいろと議論になった時、ふと彼がいった。
「だってお前、音楽を聴いてないじゃない。」
かつての友人のなかには、プロとして音楽の道を選んだひとや、プロにならなくても、以前の熱狂を静かに持ちながら音楽と一緒に生活しているひとがいる。音楽からさっさと逃げ出してしまった自分をいつもどこかうしろめたく思っていたのは事実だった。
その証拠に学校を辞めてから、自分から音楽をやっていただとか、ギターが弾けるなどとひとに吹聴するなんてことはほとんどなかった。
幼なじみのAくんが、夏のある日、湘南の浜で焼身自殺をしたのが三十五歳のとき。いろいろなことを考えたが、まっさきに浮かんだのは音楽だった。
やり残してきた山のような宿題の、いったいどこから手をつけたらいいのだろうか。
とにかく「聴くこと」と「弾くこと」からはじめ、そうして何年かがたっていた。そんななかでマイケル・ブレッカーが自己のカルテットでクラブ公演をするということを知った。ぼくは自問した。
ブレッカーを聴きにいっていいだろうか?
つまりかつての熱狂に顔をあげて向かい合うだけの努力を、この何年間してきただろうかということだ。自分が自分にだした答えは「まあ、いいだろう」だった。
テーブルは若いカップルと一緒になった。女の子はどうやらむりやり連れてこられたらしく、あまり乗り気ではないようだった。
「はじめてだし・・」とか「よくわかんないし・・」
とかいうのが聞こえてきた。
照明が落ち、極上のメンバーで構成されたマイケル・ブレッカー・カルテットがステージに集まる。
つばを飲み込む余裕もなく、音があふれだす。
アップテンポの強烈な四ビート。
のっけからぐいぐいと攻めたてるブレッカーのソロは、いわゆるブレッカー節といわれたメカニカルでメタルなビ・バップとはちがった、どこかジャズの伝統に深く根ざした、あたたかくアコーステックなフレーズと展開だった。とはいえそれが勢いを欠いているということを意味するのではない。
ブレッカーとバンドはどんどんのぼりつめ、強力なキメとブレイクで曲を終えた。
一瞬の間があって観客の大歓声があがる。
ぼくの前にいたさきの女の子がたちあがって、こう叫んだ。
「チョーかっこいい!!」
そう、その通り。かっこいいんだよ、マイケル・ブレッカーは。