しつらえる、から
CMのミキサーになったころ、なんどかスタッフ打合せにでたことがあった。録音部は事前に取り決めをしたり、確認しておくことがほとんどない。だからか、事前の打合せに呼ばれることは滅多にない。
一度などは、監督が「録音部、同録します。以上。」と言って、1分とかからず終わったときがあった。それでもほかのパートのひとたちがどんなふうに撮影まで準備するのかにとても興味があったものだから、しばらく残ってみなさんの真剣な様子を遠巻きに眺めていた。
そのなかで驚いたことがあった。企画やコンテに沿ってセットの打ち合わせをしているときのこと。机の上にはたくさんの資料や本があって、付箋がついたページをひらきながら、「こんな感じで」「壁はこんな色で」と資料を指しながら細かく指示を受けたり、提案をするというやりとりをしていた。
セットだけでなく、ビジュアルのイメージとことわりながら、名作映画や海外のミュージックビデオを流して、「こんなふうに撮ってほしい」「このイメージで」というときもあった。音楽にも完成形を想起させるために、既成曲が流されたりした。
そのとき漠然と、ああ、ぼくたちの仕事はゼロからなにかオリジナルなものを生み出すのではなく、「しつらえる」のだなと、多少のショックとともに、そう思った。
あらかじめ制作の中心にいるひとたちのなかに、有名映画監督のだれだれみたいにとか、あの映画のワンシーンみたいにとかの、いわゆる元となるイメージがあって、それを集めた資料でわかりやすく伝え、プロは技術や感性を使って、その要求にこたえるべく具現化する。広告における映像というのはそういうものなのだと思い、自分なりに納得して長いことやってきた。
還暦を過ぎて、広告の依頼も減って、少し距離を置くようになった。すると「しつらえる」こと以外でやりたいことが増えてきた。とはいえ凡夫ゆえ、たいしたことはできない。なにか書いたり、音楽を作ってみたり、身の回りの小さいことばかりだ。
でもそうした目で見ると、たとえば西川美和監督のように、自分で物語を紡ぎ、それを脚本化し、映画というかたちに昇華させるひとが、とてつもなくすごいことに気がついた。なにかをしつらえて、まとめあげるのも才能だけれど、まったくなにもないところからかたちを作るというは、またこれは特別な才能と努力だなと、驚きとともに尊敬の念が湧いてくる。
山内ケンジさんもそういう特別な才人のひとりだと思っている。CMの世界から忽然と消えた十数年前から、山内さんは、オリジナルの戯曲と自身の演出で毎年、時には年に二本もの演劇公演を行なってきた。それも再演はなく、かならず書き下ろし新作なのである。
山内さんはずっとなにもないところからなにかを生み出し続けてきた。CMの仕事をしなくなったのは、きっと「しつらえる」ことが嫌になったのだろう。
「しつらえる」ではなく「生み出す」ことをずっとやってきたひとは、自分の周りを見てもそうたくさんはいない。というかほとんどいない。なになにみたいにでも、だれだれみたいにでもなく、「私」という真っ暗闇から自分でも得体の知れないものをひっぱりだすべく奮闘するなんて、なかなか壮絶な日々だ。
「作る」ことは、もちろん創造やしつらえや技術といったさまざまな能力の総合体にほかならない。そんな「作る」を継続すること。つまり「作り続ける」ことが、いまのぼくには一番の関心事である。どうしたら「作る」ことが日常となり、生業となるシステムが可能だろうかと、そのことばかりを考えている。
幸いにして、山内ケンジさん、野上信子さんのもとで、片隅ながら「作ること」の手伝いをさせてもらった。このことはほんとうに大きな経験であり、これからの過ごしかたにずいぶん影響があった。
「しつらえる」から「生み出す」へ。「作る」のかたちも、いい意味で進化していくことを願っているし、ぼく自身そこに関与していきたいと思っている。