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一冊のリーフレットから

(1)

 心の中に、いつなんどきも、一時たりともというわけではないけれど、どこか澱のようにいつまでも残っていることがらというものがある。
 そのひとつが、2016年に起きた「津久井やまゆり園」での事件である。そこでなにが起きたかは、これまで多く報道されてきたので、なにかしらのかたちで知っていることと思う。さらに深く知りたいと思った人も少なからずいるのではないかとも思う。ぼくもそんなひとりで、「津久井やまゆり園事件」に関することは、できる限り読んできたつもりだ。
 ことを起こした植松さんは死刑が確定し、明日執行されてもおかしくない状態にある。ご存知のように、死刑が確定すると同時にあらゆる情報は遮断されてしまう。その瞬間に「終わった」ことになるのが、この国のありようだ。それを法律が後押ししている。
 犠牲者の数よりも少ない公判回数で死刑判決がでて、植松さんが自ら控訴を取り下げたことで、死刑は確定した。面会は親族と弁護士のみとなり、執行されるまで、彼に関することはまったくといっていいほど知らされることはない。次にぼくたちが知るのは、何時何分に植松死刑囚の死刑が執行されたということだけである。

 あの事件についていろいろと調べながら、どうにも納得がいかないまま、たった17回の公判で、鉄の門を下ろしてしまったことに、またひとつ澱が増えたと落胆していた。
 ところが最近になって、気になる記事を見かけた。それは現在改築中の「やまゆり園」をでて、ほかの施設にいる入所者さんが、とても生き生きとしているというものだった。それは植松さんが「心失者」「ばけもの」「意思疎通の取れないもの」としていたひとたちの、そうではない姿だった。
 記事はそのことを伝えたかったのだと思う。しかしぼくはちがうものを感じていた。それは直観のような、憶測に過ぎないのかもしれないのだが、ひょっとして「津久井やまゆり園」の施設内での状況は、とても悪かったのではないかという疑念だった。
 いままでそんなことは考えたこともなかった。問題があるのは間違った思想に取り憑かれた植松さんで、「津久井やまゆり園」はそのいわれもない被害者にほかならないという思い込みしかなかった。

 あらたに芽生えた疑念をかかえていたその最中、死刑廃止を社会に訴え続けている「フォーラム90」からのリーフレットが届いた。特集は7月に行なわれたシンポジウム「相模原事件、寝屋川事件から上訴取り下げを考える」のなかの一部をテキストにしたものだった。
 司会をミュージシャンのダースレイダーさんがやり、パネラーとして植松聖さんに長く接見を続けてきた篠田博之さん(「創」編集長)と渡辺一史さん(ルポライター、「こんな夜更けにバナナかよ」著者)に話を聞くというものだった。
 風呂で腰湯をしながら読んだのだが、これが実に核心に通じる非常に濃いテキストで、このメンバーのすごさは以前よりわかっていたつもりであったが、7月18日の当日に、この場に自分が行かなかったことがものすごく悔やまれるほどの内容に圧倒された。
 ほんとうに充実した話というのは、テレビや公のメディアでは行なわれないということは経験上知っている。だからこそ、少人数の集まりにいそいそとでかけていくのである。この日あったことも、このテキストも、決してひろく知られるものではない。そのことを残念に思う。すべてをスキャンして希望するひとに配布したいくらいだが、そうにもいかず、前段で触れた「津久井やまゆり園」に関する疑念のことを、少しばかりここに引用する。

 植松さんは、事件を起こす以前は「津久井やまゆり園」の職員であった。それに関連して渡辺さんはこう発言している。
『裁判で明らかにならなかった最も大きな事柄のひとつがやまゆり園という施設の支援の実態でした。例えば裁判の中で、植松氏が職員になった当初は、入所者のことを「かわいい」と言っていたという友人の証言がたくさん出てきました。ところが、3年2ヶ月勤める間に、最初は「かわいい」と感じていた入所者のひとたちに対して、「この人たちは生きている意味がない」というふうに反転してしまった。なにゆえにそうなってしまったのか、そのプロセスを裁判で緻密に明らかにすることこそが、じつは植松氏の本質的な弁護につながったんじゃないかと僕は思っているんです。』
 またこうも。
『植松氏は被告人質問で、こんなことを証言しているんですね。ある時、やまゆり園の職員が入所者に暴力をふるうところをみて、「暴力はよくない」と植松氏が言うと、その職員が「お前も2,3年いたらわかるよ」と。』
 さらに植松さんは、親がかえったあとに、入所者を鍵のかかった部屋に閉じ込めるという行為に疑問を感じていたことを「鍵の中で」という文章にして、雑誌「創」に掲載している。
 ぼくは「津久井やまゆり園」が、悪いとか、特別に問題があるとかを言いたいわけではない。ただ植松さんをそこに向かわせる障害者介護施設の現場の実情は「津久井やまゆり園」にもあったのではないかという、ごくあたりまえの問いかけを持っているだけなのである。
 篠田さんもこう指摘する。
『2016年7月26日に事件が起こって、8月3日に私は津久井やまゆり園に行くのですが、ある種の衝撃を受けたんです。駅からほとんどバスも一日何本しか出ていないような場所で、本当に「人里離れた」という印象なんです。私も相模湖にはこれまでも行ったことがあったんですけれども、その近くに人里離れた大規模施設があったということ自体、知らなかった。ほとんどの都民は知らないんですよ。そのことにまず衝撃を受けました。』
 障害者を見えないようにする、人里離れたところに隔離するという、「癩予防法」を彷彿とさせる、かつてあった悪しき政策と法を、いま現在も引きずっていること、それを許しているぼくたちとその社会が、この悲惨な事件からなんら無傷であるとは、到底言えないと思う。
 植松さんを死刑にして、それをもってすべてを終わらせるということは、ぼくたちの責任を間接的に免除するという、卑劣でうしろめたい行為にほかならない。
ぼくのなかにある澱は、さらに重いものになっていく。

(2)

 「勝ち組」「負け組」ということばが口の端に上るようになって、ずいぶんと時間が経つ。はじめて耳にしたときは、なんだかいやなことばだなあと思った。とはいえ最初のころは、ニュアンスに余裕があったというか、アイロニカルだったり、やや自虐的に笑いを誘う側面も持っていたように記憶している。
 まだ社会自体が「危機」に対してさほど逼迫していなかったからだろう。
しかしそののちに、世界情勢が大きく変わったり、身の回りにもさまざまな変化が起こってきた。そして狭量ともいえるナショナリズムが席巻しだし、市井のひとびとの暮らしや未来が、つかみどころのない不安と圧迫感に包まれるようになっていく。
 自己責任とやらに背中をつつかれ、なにやら「勝ち組」にいなくてはならないような強迫観念にかられだす。自分で勝てなくても、少なくとも勝っているひとや場所にすり寄っていくようになる。いじめられる側ではなく、いじめる側へと、ひとは大挙して流れていった。
 力のほうへ。より強い力のほうへ。いつの間にか自分も力のある立場からものを見るようになったり、ことばを発したりするようになっていく。ときに媚びることさえ厭わず、なんとかして「勝ち組」に入れてもらおうとする。
 一強とも言われた長期政権を支えてきたのは、そういった心性だったのではないだろうか。それまであまりきかなかった「忖度」ということばが横行し、目線と気遣いはつねに力のあるほうへと向けられた。「勝ち組」への椅子取りゲームは熾烈さを極めていった。

 植松聖さんの心が揺れ、変移していくさまを、いくどとなく接見をかさね、ときに激しく議論した篠田、渡辺両氏ならではの発言に、悲惨な事件の裏側が、書かれたものだけではない、ひとの温度をもった鼓動とともに見えてくる。
 テキスト「相模原事件 死刑確定でなにが失われてしまったか」から渡辺一史さんのことばを引用する。
『彼は、役に立ちたいからこの事件を起こしたということははっきりと言っています。今は誰しも社会から「役立たず」とか「社会のお荷物」として排除されるのではないかという怯えや不安を抱えている時代ですよね。他人に対して「自己責任だ」と言えば言うほど、この社会はそういう息苦しい社会になってしまうわけで、だから歯車を逆に回さないといけないんだけれども。その中で植松氏もやっぱり自分が「役に立つ人間」であることを証明するために、この事件を起こした。被告人質問で植松氏はこういうことも言っていました。「もし自分に歌手や野球選手になれるような才能があったら、この事件を起こさなかった」と。』
 「津久井やまゆり園」に勤務しはじめたころ、入所者を「かわいい」と言い、入所者への暴力や不当な拘束に対して違和感を持っていた植松さんが、3年あまりの月日のあいだに、どう変わっていったのか。それをより深く詳しく知ることは、これからの介護施設のありかたや介護、看護の現場での改善、ひいてはきたるべき社会のありようそのものにもつながっていくにちがいない。

 ゆがんでいるのは植松聖さんだけではない。ぼくたちやこの社会そのものも等しくゆがんでいるのだ。植松聖さんを鏡にして自分を映し出してみれば、彼が抱いた感情や考え方と似たそれが、ポロポロとでてきやしないか。
彼を死刑にしても、ぼくたちのなかの黒いかたまりはこれからも生き続け、延命をいいことにまた同じあやまちを繰り返してしまうかもしれないのだ。
会社は苦しいんだ、国はいまたいへんなんだ、だから社会のお荷物になるような者たちを処分しないといけないのだと、そんなあらぬ暴言が、もはや暴言とすら思わない声の高さで叫ばれる。
 渡辺さんのこの推論は、少し極端かもしれないが、確実に「それ」は存在する。
『世界情勢でいうと、トランプ氏もそうですが、フィリピンでもドゥテルテ氏のような人がでてくる。あと植松氏が崇拝しているのが堀江貴文氏とか、高須クリニックの院長とか、とにかく物事をズバッと一刀両断して語ってしまえるような人たち。要するに、公の席ではなかなか口にしづらいようなことでも、あけすけに語ってしまうことが正しいことなんだというような、ポリティカル・コレクトネス批判というんでしょうか、簡単に言うと「キレイゴト批判」ですね。「障害者なんていらなくね?」「あいつら生きてる意味なくね?」というような、身もフタもないことを口にすることこそが正しいことだというような価値観。それらが2016年という時期に、色濃く植松氏の中でクロスして犯行に結びついたんじゃないかと思います。』
 倫理も哲学も品性もない「反知性主義」が、この長期政権のもとで拡大したことはまぎれもない事実だ。それは政権運営とは関係ないと言われるかもしれないが、すくなくとも政治は、ヘイトスピーチをふくむ、そうした破廉恥な言説の状況を見過ごし、見逃してきた。
 そんな政治のもとで、ひとは力をもとめ、「勝ち」にすがりつき、差別される側になることを怖れるあまり、差別する側に立とうと躍起になった。
そのことをとがめる政治も大人もいなかったということだ。経済を優先するばかりに、それ以外の領域はないがしろにされ、品位を欠いた、ただあけすけなだけの空虚なことばが、大手を振って幅をきかせるような土壌ができあがったのだ。
 事実、植松さんは犯行前に総理大臣宛、自民党幹事長宛に手紙を書いている。これから身を挺して行なう「正義」を知ってもらうために、自分は権力にとって、社会にとって「役に立つひと」だと認めてもらうために、それは真剣にしたためられた。
 ぼくたちは間違いなく、植松聖さんと同じ空気を吸ってきた。さほど変わらない環境のなかで生きてきた。彼を異形の怪物として闇のなかで縊死させるのなら、「意思疎通のできないもの」として秘かに葬るのなら、それは彼が「津久井やまゆり園」で、これ見よがしにやってみせた蛮行と、さほどの違いもあるとは思えない。

(3)

 渡辺一史さんは、植松さんの動機について六つの要件を挙げているが、そのなかで、犯行にいたる過程での「ネット空間」の影響について述べているくだりが興味深い。
 植松さんは取り憑かれていた「正義」への思いや実行計画を、まわりの友人たちに話していた。そればかりか、おぞましい内容の手紙を実際に衆議院議長宛に手渡しに行っている。
それに対して友だちからは「やめろ」と言われる。こと手紙の一件に関しては、それが原因となって、措置入院までさせられてしまう。つまり実際の社会のなかでは、植松さんの「正義」はとうてい受け入れられるものではなく、相手にもされはしなかったのである。
 ところが、同じ時期にネットでも同じような行動をしていた植松さんに、実社会とはちがった反応が起こる。
 そのことを渡辺さんはこう述べている。
『実は植松氏は、犯行の1年前くらいから、しきりにYahoo!の投稿欄にコメントを書き込んだり、動画投稿サイトに自撮りした動画をたくさんアップし始めます。今でもYouTubeにわずかながら残っていて見られるのですが、とにかく犯行予告めいた動画だったり、「今の日本はこのままでは危ない」「どうにかしなきゃいけない」というようなことを切羽詰まった表情で語るのを自撮りした動画なんです。そうした動画をアップすることによって、投稿仲間たちから「いいね」とか「やっちゃえ」とか無責任な同調を得て、彼の差別的な主張が煽られるという面があったのではないか。彼の犯行を考える上で、今のネット空間やネット世論の影響というのは、かなり大きな要素としてあったのではないかと私は見ています。』
 ネット空間、ネット世論。そこで実際の社会やひとたちから得られない共感とか応援をもらっていて、それを強い後押しだと、もし植松さんが感じていたら‥。
 匿名性が高いネット空間では、しばしば「本音」が言いやすい。さらに極端に「本当のこと」はここにしかないと思いこむ風潮がある。マスゴミはだめで、リアルな社会は思ってもいない「建前」だけだと、そう吹聴するひとを見かけたりもする。そしてそこには納得してしまう部分もたくさんあって、ネットでの言説というものが、いまや、ひとつの地位を獲得しているのも事実である。
「キレイゴト批判」が大手を振っているのも、おおくネット空間のなかであることは周知のことがらだ。匿名で、むき出しの、ルールのないことばたちが無方向に飛び交う。実社会で「やっちゃえ」と後押ししたら、それは犯罪幇助になってしまうが、無責任が前提としてあるネット世論では、そこを問われることはない。
 女子プロレスラー木村花さんの自殺をきっかけに、いまになってネット空間への規制や法改正が大きな問題となっている。それに先立つ4年まえのこの恐ろしい事件、ネット社会の無責任な「やっちゃえ」が、その行動に駆る、強い心立てとなっていたとしたら。そのことについて考えることは、じゅうぶん意味のあることだと思う。

 今回たまたま手にした一冊のリーフレット、そのなかの記事である「相模原事件 死刑確定でなにが失われてしまったのか」は、おもいのほか重要なテキストになった。植松聖さんの責任能力にばかり重点を置かれた裁判のなかで、「明かされなかったこと」と、はからずも「明かされてしまったこと」が、この事件の近くに居続けたふたりによって、はっきりとした輪郭をもって語られた。

そして植松聖さんの死刑は確定した。公判で明かされなかったことや語られなかったことは、闇のなかに永遠にしまいこまれてしまう。
 「死刑確定者の心情の安定のため」という名目で、このさき親族と弁護士以外の接見が禁止される。特例としてそれ以外のひととの接見の可能性もあるが、制度としてはますますむずかしくなっているそうだ。
 もはやぼくたちができるのは、これまでの公判記録や良質なルポルタージュをたよりに、どこまでこの事件をじぶんごととして、想像し、体験し、身体のなかに取り入れていくかということになってくる。死刑執行をもって、なかったことにする、終わったことにする。それだけはあってはならない。
 はからずも明らかになったこととして、障害者施設への支援のありかたという、大きな宿題もある。これについては政治や行政をひろく巻き込んでの、実務的な改革、改善がもとめられることだろう。そこはしっかりと注視していきたい。
 このテキストにもそこに関する両氏の発言があるので、引用しておく。まずは篠田博之さん。
『この裁判でいろんなことがわかったと言いましたけれども、その流れで、このところ議論の争点のひとつが、障害者施設のあり方ということに移っています。(略)昨年くらいまではマスコミも、津久井やまゆり園の障害者支援のあり方という問題には踏み込めなかったんですね。それはつまり、やまゆり園は被害者だから、被害者の実態はどうだったのかというアプローチはできなかったんです。それが最近はやまゆり園について虐待という見出しが踊ったりしている。これはなかなか難しい、デリケートな問題なので、乱暴にやっちゃいけないんですが、植松氏にかかわっていた障害者支援の実態を解剖していかなきゃいけないというところに、ようやく手がつき始めたということなんですね。』
 そして入所者への虐待ともとれる、部屋への施錠が、皮肉にも植松さんの犯行から逃れることになったという事実をふまえて、渡辺さんの報告。
『その中で本当に施錠によって助かった方が何名いたのか。それは大切な疑問なのですが、いかんせん、やまゆり園側が取材に対してずっと閉鎖的で答えてくれない。今年に入って、神奈川県でも知事の肝いりで、やまゆり園の支援のあり方を検証しようという第三者委員会ができたのですが、中間報告書で「虐待」が疑われるような過去の事例が報告されるやいなや、県や県議会が事実にフタをして隠蔽しようという動きが出てきて、それを毎日新聞が批判的な記事を書くことによって、「やまゆり園の支援の実態を解明せよ」という声を上げている我々もそうですけれども、障害者当事者の方たちの批判が高まって、県がやっぱり検証を続行しますというふうに、手のひらを返して、対応を変えたりしました。そういうことで今、ひと悶着が起こっているところなんです。』

 19人の入所者を殺害し、職員をふくむ26人に重軽傷を負わせたこの事件。被害者はほぼ全員匿名。そしてご遺族のなかで、公判を通して、被告人質問や意見陳述にちゃんと立ったかたは尾野剛志さんをふくめて3人にとどまる。この事実が事件の特異性をじゅうぶんに物語っている。
 県や県議会はなにを隠そうとしているのか、なぜ「津久井やまゆり園」は人里離れたところにあるのか、わたしたちはなにから目をそむけようとしているのか。
 キレイゴトなんてない。タニンゴトなんかじゃない。ひとりひとりが、障害者施設の支援を自分に問い、改善に向けての行動を起こし、そしていまよりもすこしだけ住みやすい社会を作っていく姿勢をしめしていくことが、とても大切だと思うのである。

(了)

 

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