豊かなひと
「ロフト」の創始者平野悠に、「素人の乱」の松本哉。二日続けてとんでもないふたりの飛沫を浴びることの幸せと興奮は、ことばにならない。
張りのある大きな声で、とまらない平野悠さんの、時間も場所も超えていく話のおもしろさ。ピースボートで恋をしながら世界をまわったかと思えば、新宿や下北沢に降り立ち、すぐさまドミニカ共和国にワープする。
自らが築いてきたものに一切の未練もなく、たかがと豪快に笑い飛ばす。76歳の恋はこれかも休むことなく生きていく。
対照的に静かで、どこか飄々としているのが松本哉さん。口癖のように「なんでもいいすよ。」という、その優しい表情が魅力的だ。
ニコニコしているけど、これまでやってきたことはとんでもないことばかり。しかしどこにも力は入っていない。まさに「マヌケな素人」として、さまざまな反乱を起こしてきた。そんな松本さんを迎え入れて遊ばせている高円寺という希有な街のおもしろさと懐の深さを感じることができた。
ふたりに共通しているのは、窮屈が大嫌いなこと、そして国境などをものともしない旅をしていることだ。あまり考えずに出て行っては、いろんなひとと出会い、意気投合してはいい関係を作っていく。面倒なことはなしで、気にいったらそれでよし。酒がうまけりゃなおよしでやってきた、そんな時間、関係、場所を身体のなかにたくさん持っている。
とても豊かだなと思う。豊かなひとといると、そのおすそわけなのか、気持ちがリラックスする。ついついぶしつけなことをたずねても、笑ってきいてくれる。
みんなこうなればいいのにと思う。自分のまわりに勝手に張り巡らせている「やってはいけないこと」や「クレームを受けないように」や「馬鹿に思われないように」「必要とされるように」とかいった、たくさんのピリピリやビクビクからほんの少しだけ自由になれたら、景色はガラッと変わるにちがいない。
所詮は「たかが」なんだよ、そんなことより朝から晩までそのひとのことを考えちゃう恋のほうがよっぽど気持ちいい。ビール片手に、平野さんはそう言うだろう。
「やりたくないことは、やっぱりやらないでおこうって思うんです。」
優しい目もとの松本さんからは、ドキッとすることばがでてくる。
まったくちがうふたりだけれど、描くビジョンや未来や希望はどこか共通している。効率性の追求やソーシャルディスタンスなんかじゃない、危機管理やコンプライアンスとも距離を置いた、体温のある人間関係、触れることのできる人権、倒れている奴を起こして飯をくわせる互助、困っているひとも困っていないひとも一緒につつける鍋。ふと音がするほうを見るとレスポールを下げた忌野清志郎が歌っていそうな、そんな風景を妄想してしまう。
生きているとおもしろいことがある。この二日間でちょっとだけ心がひろがったように思う。