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食べ物を娯楽にするな

休日。
何を休むのかと考えると、肉体的な労働から解放されて身体を休ませるということはもちろんだが、
『役割や義務から解放されて、他者へのサービス精神やサービスをすることなく、自分本位に、自分を喜ばせる』という意味合いが強い気がする。

ものすごい混んでいる街で、
お店で食べるのか、テイクアウトして家で食べるのか問題がある。今日はテイクアウトを選択した。

混みすぎの店というだけでストレスを強く感じる。恐山が混み合っている様子の例で、ギャグ漫画日和14巻の表紙と表現しててすぐ検索したら、もうほんとにすし詰め状態だった。(芋を洗うようなっていう表現だと、なんか違う気もする。)

実際こんなに混む事って満員電車以外はないかど、繁華街の混み具合は体感的に満員電車並み。

そもそもなんで、満員電車は無くならないのか。なぜ行列は解消されないのか。

昔就職活動でその原因と解決案を提案してくださいというのがあった。
色々構造的な問題が重なっている気がするけど要すれば『まあいっか』な気がする。

同じ時間で働け、大体みんな電車で来てね、テレワークよりも顔を合わせた方がコミュニケーションとりやすいから来てねって、満員電車は?!
まあ、いいじゃん、我慢してね
という感じ??

また食べすぎた。同じ過ちを繰り返すのは狂気だって聞いた事があるけど、ほんとその通りだとおもう。人間だもの。餃子10個に鶏肉の一枚揚げという身体をいじめたメニュー。鶏肉は流石に食べきれず明日へ。

この流れで、腑に落ちた記事。
チャーハンの話より、食べ物に対する視点が面白かった。

たしかに「食べる」って楽しみの一つであり、娯楽の側面もあるとは思うんです。私もずっとおいしいものを食べることが好きだったし、料理も好きなので、かつては、おいしい店があると聞けば足を運び、おいしいレシピがのっている料理本があればせっせと買っていました。

でも、これってどんどんエスカレートするんですよね。おいしい店を探すこともキリがないし、家でおいしいものを作ることもキリがない。
(中略)
------一方、「ご飯・味噌汁・漬物」のワンパターンの繰り返しに飽きることはないのですか?

よく聞かれるんですけど、これが不思議に飽きないんですよね。
で、どうしてかなと考えたら、それはたぶん「おいしすぎない」から。地味なものは毎日食べても飽きない。「ご飯に飽きた」とか、「味噌汁に飽きた」という話は聞いたことないですよね。

でも「おいしいもの」、ご馳走って、二日連続は食べたくないです。だから頑張ってご馳走を作り続けるほど、無限に毎日違うご馳走を作らなきゃいけなくなるという恐ろしい世界に取り込まれていってしまう。

だからワンパターンでいいし、むしろワンパターンだからこそいいんです。

──ワンパターンだからいい?

ワンパターンは「いつもの味」で、安心できる味なんです。生きていたらいろんなことがありますよね。その中で、家に帰ったらいつもの味のご飯を食べてホッと安心できるって、すごく貴重なことじゃないでしょうか。
体調の変化を知るバロメーターにもなります。

この稲垣さんは冷蔵庫なし、ワンルーム暮らしで一汁一菜しか食べないらしい。そんな極端な、、、食べることをもっと楽しめばいいのにとおもったけど、いや、待てよ、『食べることを楽しむ』って確かに変だよな。

食べるのは生活の一部だし、歯磨きや着替えと似ていることもある。
やたらと食を娯楽化しすぎている傾向がデパ地下含めて強すぎるよな。
白米、味噌汁、納豆、卵焼きが最強だもんね。

⛰️
仏教を思い出した。
苦ししみの理由は執着、煩悩。
よりよいものを!は果てがない。

ぷーぷーぷーぷー

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